昭和54年ってそんな昔の話じゃないですよ。ぜひ制作陣にそう教えてあげたいものだ。
8月18日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第94回では、ヒロインの青柳暢子(黒島結菜)が姉の石川良子(川口春奈)から、200万円もの資金をポンと出してもらう姿が描かれた。
前回、マルチ商法に騙された兄の比嘉賢秀(竜星涼)を救うべく、沖縄料理店の開業資金として用意していた200万円を手に駆けつけた暢子。夫の和彦と幼馴染の砂川智が同行していたにもかかわらず、暢子はその200万円をマルチ商法の首謀者に渡してしまったのであった。
警察が介入し、賢秀も取り調べを受けたが、なんとか無罪放免に。だが暢子が渡した200万円の回収はほぼ不可能とのことで、彼女の沖縄料理店開業はゼロどころかマイナスに後退したのだった。
「暢子は沖縄在住の良子に電話をかけ、自分や賢秀が無事だったと報告。しかし200万円は戻ってこないと明かしました。すると話を聞いていた夫の博夫(山田裕貴)が、賢秀のおかげで自分たちが結婚できたとの想いから、海外旅行の資金として貯めていた200万円を暢子に渡そうと提案。同意した良子は『200万、送るからね』と告げ、いつ返せるか分からないという暢子に『返さなくていい。もらってちょうだい』と語ったのです」(テレビ誌ライター)
贈与税といった細かい話はともかく、無事に開業資金を手に入れた暢子。実家の比嘉家ではまだ借金を返済中のはずだが、その辺りは気にしないのが「ちむどんどん」の流儀なのかもしれない。
だが制作陣が「感動的な姉妹愛」として描いたはずの場面に、旅行好きから疑問の声が続出しているという。石川家では海外旅行に向けてコツコツと貯金していたそうで、2日前の第92回では夏休みの海外旅行を提案した博夫に、良子や娘の晴海(佐藤風和)はハワイに行きたいと応えていたものだ。
「まさか親子3人で予算200万円の海外旅行とは、どんな大名旅行なのかと驚きです。令和の現代にあってもその金額は相当にベラボウで、欧米にビジネスクラスで飛ぶような金額でしょう。そのいい加減な金額を巡って、制作陣が海外旅行のツアー料金を適当に考えていた可能性もありそうです」(トラベルライター)
海外渡航が自由化された昭和39年(1964年)にJTBが主催した「第1回ハワイダイヤモンドコース旅行団」は、9日間の日程で一人36万4000円。現在の400万円にも相当するという高額なツアーだった。そこから15年が経った作中の昭和54年では、ツアー料金も物価上昇に伴って値上げしていそうなもの。大人が一人80万円、子供が半額の40万円なら、ちょうど200万円になる計算だ。
おそらくはそんな適当な「時代考証」から計算されたっぽい今回の海外旅行貯金だが、これがとんでもない間違いだというのである。前出のトラベルライターが指摘する。
「当初はごく一部の富裕層しか楽しめなかった海外旅行ですが、昭和46年には出国者数が100万人を突破。昭和53年には成田空港も開港し、作中の昭和54年には出国者数が400万人を超えるなど、海外旅行は一大ブームとなっていました。ツアー料金はジャンボジェットなど機材の大型化もあいまって、年を追うごとに低下。昭和54年当時のハワイツアーはすでに20万円を切っていたのです。繁忙期にあたる夏休み期間は相場が高くなるものの、石川家のハワイ旅行は200万円どころか、100万円でもお釣りがきたことは間違いありません」
朝ドラのメイン視聴者は50代以上で、昭和50年代に海外旅行を体験した人たちも少なくない。そんな視聴者にとって、石川家が海外旅行資金に200万円も貯めていたことには驚くよりほかないところだ。
しかし「ちむどんどん」では昭和54年に至っても東京の街並みがまるで昭和30年代さながらだったり、時代考証のいい加減さは枚挙のいとまがないほど。制作陣も「夢のハワイ旅行」というイメージが抜けないまま、200万円という金額ありきで旅行資金を設定したのではないだろうか。
「そもそも第91回で暢子が集めてきた物件情報では、貸店舗の保証金が最低でも250万円になっていました。しかも東京・杉並で暢子が決めた物件は、家賃が当初の予算より高めだったはず。それなのに彼女が用意した『保証金+前家賃』が200万円というのは、物件情報という小道具の記載内容すら無視した金額になります。どうやら本作の制作陣は、時代考証どころか『辻褄合わせ』にすら興味がないようですね」(前出・テレビ誌ライター)
毎回、都合のいい数字や展開ばかりを見せつけられる「ちむどんどん」。この調子だと暢子が開店する沖縄料理店でも、現実に反した料理やらなにやらを見られるのは確実だろう。
※トップ画像は山田裕貴公式インスタグラム(@00_yuki_y)より。