時空は越えられても、時代の壁までは越えられないようだ。
8月30日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第101回では、東京・杉並に沖縄料理店の「ちむどんどん」を開業するヒロインの青柳暢子(黒島結菜)が、開店を2週間後に控えて試食会を開く場面が描かれた。
作中の昭和54年(1979年)は、東京都内にも沖縄料理店が数えるほどしかなかったころ。沖縄料理が一般的になるのは2001年度上半期の朝ドラ「ちゅらさん」が話題になってからのことであり、暢子は20年以上も時代を先取りしていたようだ。
もっとも、時代を先取りできれば先行者利益を得られるそうなもの。しかし当時は、そんな暢子のやる気を阻む現実が立ちはだかっていたという。
「当時、沖縄県産の農産物は基本的に、本土への持ち出しが禁止されていました。本土にはいない病害虫が理由であり、それが解決するのは平成になってからの話。当時は紅芋やゴーヤーといった沖縄県産の食材を調達するのは相当困難だったのです」(週刊誌記者)
横浜・鶴見で沖縄料理店「あまゆ」を営む金城順次(志ぃさー)は「沖縄の物は本土ではなかなか手に入れにくいよ」と指摘。すると暢子は「そこは智に協力してもらって」と、食品卸業を営む幼馴染の砂川智(前田公輝)に頼る腹積もりだ。
ただ智は、沖縄から持ってこられないものもあると前置きしつつ、「たとえばモーイー(赤毛瓜)はキュウリとかウリとか代替品を使ったり」と提案していた。
しかしキュウリやウリを使うなら、わざわざ智の世話になる必要はないはず。しかも智が営むスナガワフードは鶴見に店があり、杉並までは車で片道1時間の距離だ。どこでも入手できるような食材をわざわざ鶴見から仕入れる必要性はなく、むしろ運搬費や鮮度の問題が発生するのではないだろうか。
「結局、暢子が杉並での開業を選んだ時点でもはや、智は必要とされていないのも同然だったのです。智はなぜか沖縄と東京をやたら行き来しており、今回も場面が変わると突然沖縄にいるなど時空を超越する動きを見せていましたが、そもそも沖縄の農産物は東京に出荷できないのに何が目的なのかが意味不明。せめて鹿児島県の本土部など沖縄料理の食材を生産していそうな地域を開拓すればいいものの、そういった素振りもありません。もはや彼の存在が暢子の開業には何の役にも立っていないのが実情です」(前出・週刊誌記者)
そんな第101回ではもう一つ、食材について疑問のある描写も見受けられたという。それはラフテーに必要な「皮付き豚肉」の調達に関するくだりだ。
雇い入れた料理人の矢作知洋(井之脇海)にラフテーの作り方を説明していた暢子。材料には皮付きの豚肉が必要で、矢作が「皮付きの豚肉なんて東京で手配できんのか?」と当然の疑問を口にすると、暢子は豚肉は沖縄料理の要だから妥協したくないと言いつつ、「沖縄から冷凍で取り寄せるしか…」とつぶやいていた。
しかし現代ならいざ知らず、昭和54年の時点で沖縄から冷凍の豚肉を仕入れたら、いったいどれだけの手間賃が掛かるのか。まさか制作陣は、クール宅急便で送ればいいとでも思っているのだろうか。しかし同サービスが開始されたのは昭和63年(1988年)のことだ。
「冷凍品の空輸には専用の冷凍コンテナが必要。今でこそ沖縄から本土に大量の冷凍品が出荷されていますが、昭和54年当時には沖縄から冷凍品を空輸する手段自体がほとんどなかったのです。結局、料理について何も知らないオジサンたちが脚本を書いているので、21世紀の基準でものを考えてしまい、暢子にも安易に『冷凍で取り寄せる』というあり得ないセリフを語らせてしまうのでしょう」(前出・週刊誌記者)
ちなみに皮付きの豚肉は中華料理店で普通に使われており、昭和54年時点でも中華食材の業者から購入することができたもの。やはり「ちむどんどん」では料理に関する描写に期待することはできないようだ。