暢子は7年前に亡き父から授かった言葉を胸に、東京へと旅立ったことだろう。
5月13日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第25回では、ヒロインの比嘉暢子(黒島結菜)が高校を卒業し、故郷の沖縄から東京に旅立つまでの日々が描かれた。
前回、比嘉家に長年のしかかっていた借金問題が解決し、東京に行って料理人になるという夢に向かって動き始めた暢子。物語の舞台である昭和47年(1972年)には5月15日に沖縄の施政権が米国から日本に返還され、その日に暢子は東京へ旅立つこととなった。
旅立ちを前に、荷物を詰める暢子。まだ見ぬ東京への不安なのか、旅行かばんには沖縄ならではのポーク缶などをぎっしりと詰め込み、気分は初めての海外旅行さながら。そんな暢子に母親の優子(仲間由紀恵)は大事なプレゼントを贈ったのである。
「優子は、亡父・比嘉賢三の名前が刻まれた包丁を暢子に渡しました。ここで暢子は賢三がまだ生きていた小五の時に、二人で沖縄そばを作った思い出を回想。大事な人から名入りの包丁をもらったと説明する賢三に、暢子は『うちも欲しい』と語っていました。その言葉が7年経ったいま、現実のものとなったのです」(テレビ誌ライター)
賢三と一緒に沖縄そばを作ったのは、4月13日に放送された第3回でのこと。その時に賢三は、昔はたくさん沖縄そばを作っていたと語っていた。妻の優子も那覇の食堂で育ったことを明かしており、賢三はかつて料理人だった可能性もありそうだ。
そして娘の暢子は今回、料理人を目指して上京したが、そんな彼女には包丁以外にも賢三から受け継いだものがあるという。
「第3回で賢三は、沖縄そばの作り方を暢子に伝授しました。そばを茹でている鍋に塩を入れた暢子が『これくらい?』と訊ねると、賢三は『ここから先は暢子、自分で考えて、これが美味しいと思ったものを出しなさい』と指示。『自分を信じて、作りなさい』との心構えを伝えたのです。賢三はその時点で、暢子が将来、料理人を目指すと確信していたのかもしれません。その料理人にとって最も大事なのは、自分を信じることだと伝えたかったのではないでしょうか」(前出・テレビ誌ライター)
その「自分を信じる」という心構えは料理に限らず、険しい道を歩んでいくであろう子供たちに、賢三が最も伝えたかったことではないだろうか。「東京に行きたい!」という気持ちを信じ続けたからこそ、暢子はその念願を叶えられたはずだ。
来たる東京での生活には数々の苦難が待ち受けているに違いないが、賢三の教えを胸に、暢子は自分の信じた道を歩んでいくことだろう。