【ちむどんどん】慰霊の日を締めくくった1枚の写真は「朝ドラの新しい形」を示すのか

 本編終了後に映し出された1枚の写真に、多くの視聴者が深い感慨を覚えたようだ。

 6月23日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第54回では、シェフ代行の重責に苦しむヒロイン比嘉暢子(黒島結菜)の姿が描かれた。

 東京・銀座のイタリア料理店「アッラ・フォンターナ」で6年目を迎えた暢子は、料理長の二ツ橋シェフ(髙嶋政伸)が両足骨折でしばらく店を休むことから、二ツ橋の推薦もあってシェフ代行に就任。しかし最年少の暢子が抜てきされたことを面白く思わない先輩コックたちとの関係は、悪化するばかりだった。

 暢子は兄の賢秀(竜星涼)から「家族を頼れ」と助言されたこともあり、沖縄にいる母親の優子(仲間由紀恵)に電話。自分のいいところはどこかと訊ねる暢子に、優子は「ありがとうとごめんなさいを大きな声で言えるところ」だと伝え、その答えに暢子は何かを見つけた様子だった。

 そんな母娘の絆が示された今回、本編終了後の投稿写真コーナー「わたしの沖縄」では、仲間と黒島の二人が写った写真を紹介。その説明には「6月23日は慰霊の日。ひめゆりの塔にて」と記されていたのである。

「二人が一緒にひめゆりの塔を訪れたのは、11月~12月に沖縄で行われたロケの最中だったに違いないでしょう。ロケはドラマの舞台でもある北部のやんばる地方で行われ、平和祈念公園やひめゆりの塔がある南部の糸満市には車で数時間もかかります。ただ主要キャストの中で沖縄出身者は仲間と黒島だけであり、二人にとって沖縄戦は自分たちのルーツにも大きく関わってきますから、二人そろってひめゆりの塔を訪れたのも納得です」(週刊誌記者)

ひめゆりの塔を訪れた仲間由紀恵と黒島結菜。二人の服装は沖縄ロケが行われた寒い季節の訪問だったことを示している。©NHK

 放送後、一部の視聴者からは本編にて「慰霊の日」に触れる場面がなかったと批判する声もあがっていた。この週は第51回にて作中の時代が昭和52年(1977年)6月だと示されており、慰霊の日に関する描写を織り交ぜることもできたはずだ。

 果たして制作陣が、慰霊の日についてあえて触れなかったかどうかは定かではない。そもそも本作では沖縄出身のヒロインが横浜・鶴見のリトル・オキナワに住み、沖縄料理から様々なアイデアをもらう場面も少なくないが、沖縄戦に関する描写はほとんど見られないのである。

 シリーズ序盤の第2回では、比嘉家を訪れた大学教授の青柳史彦(戸次重幸)が戦時中に幹部候補生として沖縄の部隊にいたことを語り、那覇に住んでいた優子は実家が戦火で失われたことを明かしていた。この場面だけが沖縄戦について触れたほぼ唯一の箇所だったのである。

「視聴者からは沖縄戦についてほとんど触れないことに疑問の声もありますが、制作側は沖縄に関するドラマを新しい形で描こうとしているのかもしれません。暢子の亡き父親・賢三(大森南朋)は戦時中に中国で従軍していたそうですし、フォンターナの大城房子(原田美枝子)オーナーは妹を横浜・鶴見の空襲で失っていました。このように戦争の惨禍がすべての人たちを苦しめていたことを示したうえで、あえて沖縄戦を背景にしないという選択をした可能性も考えられます」(前出・週刊誌記者)

 その上で、沖縄出身者の仲間と黒島は戦争の悲惨さと平和の大切さを、1枚の写真を通して伝えようとしていた。そして黒島はインスタグラムのストーリーに、慰霊の日に寄せたメッセージを投稿。彼女が綴った「周りの人をハッピーにできたら きっと幸せの連鎖で世界がハッピーになるはず 自分も大切に ラブそしてピース」という言葉こそが、本作「ちむどんどん」の根底を貫くメッセージになっているのかもしれない。