【ちむどんどん】暢子の薄情なセリフに透けて見えた「薄い友情」とは?

 それ、聞いちゃう? そう驚いた視聴者も多かったのではないだろうか。

 7月15日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第70回では、東洋新聞記者の青柳和彦(宮沢氷魚)が、かねてから思いを寄せていたヒロインの比嘉暢子(黒島結菜)に告白する場面が描かれた。

 同僚の大野愛(飯豊まりえ)と長年にわたって恋人関係にあった和彦だが、愛の両親が二人の結婚に前のめりになると、一転して及び腰に。暢子への想いを押し殺していた和彦だが、3カ月後に結婚式を控えた8月となり、いよいよ愛との別れを決心するに至っていた。

 だが愛のほうも女の勘で、和彦の気持ちが自分に向いていないことに気づいていた様子。彼女は出社した和彦に想いをしたためた手紙を渡し、自ら別れを切り出したのだった。そんな愛には「東洋グラフ」からパリ支局赴任の誘いがかかっており、どうやら渡りに船のタイミングだったようだ。

「暢子と同じく横浜・鶴見の沖縄料理店『あまゆ』に下宿している和彦。しかし、暢子の幼馴染である砂川智(前田公輝)が前日、暢子にプロポーズしたのを知っていたことから、帰宅した暢子に『愛との結婚は…なくなった』と明かしつつ、『僕は暢子のことが好きだ。ずっと好きだったんだ』と自らの猛る想いを打ち明けたあげく、『ごめん、明日にでも出ていくから』と下宿を引き払うと宣言していました」(テレビ誌ライター)

 なんとも自分勝手な話だが、「智と結婚する暢子を見たくなかったから」という理由は分からなくもない。とは言え前日には智からのプロポーズを断り、明けたこの日に和彦から求愛されてしまっては、暢子としてもいい迷惑だろう。

あまゆの店内で何度となくいい感じになりかけていた暢子と和彦だったが…。トップ画像ともに©NHK

 その暢子も実は、和彦に好意を抱いていた。なにしろ愛に対して自分も和彦が好きだったと告げたうえに「諦める」と勝手に宣言していたほどだ。だが相思相愛だったはずの暢子と和彦は、実のところお互いに薄い友情しか抱いていなかったとの指摘が寄せられているという。

「引っ越すと宣言した和彦に、暢子はきょとんとした表情で『どこに引っ越すわけ?』と訊ねていました。しかしそんなのは聞くまでもない話。なにしろ和彦は東京生まれの東京育ちであり、沖縄についての記事を書くために『あまゆ』に引っ越してくる前は、自宅暮らしだったに決まっているからです。しかし暢子が引っ越し先を聞いたということは、どうやら和彦の実家を訪れた経験がない様子。上京から6年目の夏を迎え、その間ずっと友人関係でいたにしては、ずいぶんと薄情な話ではないでしょうか」(前出・テレビ誌ライター)

 和彦は中3のとき、暢子の故郷である沖縄のやんばる地方に3カ月間滞在していた。それは父親で大学教授の史彦(戸次重幸)が沖縄文化を研究するために長期滞在していたからだ。

 当時、青柳父子は暢子の実家を訪れ、当時まだ存命だった父親の賢三(大森南朋)とも交流していた。暢子も当然、史彦のことは覚えているはずだ。それゆえ史彦が病気で亡くなったことを和彦から聞いた時には、線香をあげに青柳家を訪れるのが常識ではないだろうか。

「5年以上も東京で友人関係を続けているにもかかわらず、一度も和彦の実家を訪れていないのはなんとも不自然な話。そもそも暢子の行動範囲が下宿のある鶴見と、勤務先のイタリア料理店がある銀座に限定されているのもおかしな話です。よっぽど他人との交流が面倒くさいのか、それとも制作陣が面倒くさがっているだけなのか。ともかくディテールの欠如を感じずにはいられない場面でした」(前出・テレビ誌ライター)

 史彦が病気で亡くなったという事実が和彦の口から語られた時、視聴者からは<セリフだけで片付けちゃうの?>と驚きの声もあがっていたもの。せめて史彦が沖縄について研究していた資料などを視聴者に提示するのが、沖縄復帰50周年をテーマにした作品においては義務なのではないだろうか。