太秦映画村の繋がり、夏目三久が夫の有吉を心配、京都人なら分かる高校事情【2022上半期BEST 2月編】

 2022年の上半期に人気を博した記事を振り返る夏の特別企画。2月の「asageiMUSE」では、朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の関連記事が人気を呼ぶなか、芸能界引退後もなお話題になりがちな夏目三久がトップスリー入りを果たした。

【第3位】ひなたと安子は「太秦映画村」で繋がっていた!?(2月3日)

 京都の太秦映画村と言えば、修学旅行などで訪れる人も多い定番の人気観光スポット。2月2日放送のNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」第65回では、時代劇好きの小学四年生というヒロインの大月ひなた(新津ちせ)が、父親の錠一郎(オダギリジョー)と一緒に「条映太秦映画村」を訪れる場面があった。

 その映画村はこの第65回が初めてではなく、実はすでに作中に登場していたという。それも昨年に放送されていた「安子編」でのことだったというのだ。

「ひなたの祖母・安子(上白石萌音)がヒロインだった『安子編』では、岡山の朝丘町商店街が舞台となっていました。安子の実家である『御菓子司 たちばな』や『荒物屋あかにし』が軒を連ねていましたが、同商店街のセットは映画村のなかに設営されていたのです。つまり祖母の安子と孫のひなたは、同じ映画村で撮影に臨んでいたこととなります」(前出・テレビ誌ライター)

 意外なところで繋がった安子とひなた。「安子編」のラストでアメリカに渡ってからは回想シーンでしか出演のない安子だが、もしかしたら映画村繋がりで「ひなた編」に顔を出す可能性もあるのかも?

【第2位】夏目三久、外出から5〜6時間帰らない有吉弘行に「どこ行ってたの?」(2月3日)

 1月31日深夜放送の「有吉クイズ」(テレビ朝日系)では、有吉弘行が趣味にしている散歩に密着。東京北部の赤羽を出発し、約3時間をかけて池袋まで歩いていく様子を紹介していた。

 その距離は実に11キロ弱に及んだが、普段から散歩しまくっている有吉は疲れた様子を見せることもなく、ランチの時間を逸したことから池袋のデパ地下で夕食用にまぐろの刺身を買っていた。

「わざわざ刺身を買ったということは、その日の夕食は自宅にて妻で元フリーアナの夏目三久と一緒に食べるのでしょう」(テレビ誌ライター)

 なんとも妻想いの姿を見せていた有吉だが、当の夏目は有吉の散歩趣味に、いささかの不安を抱いている様子だという。

「有吉は『「どこ行ってたの?」ってよく言われますけどねぇ』と、夏目から心配されていることを告白。散歩ロケに同行した番組スタッフが《長時間外出されてたら気にはなりますよね》と相槌を打つと、有吉はこともなげに『5~6時間、帰ってこないですからねぇ』と返していたのです」(前出・テレビ誌ライター)

 目的地を告げることなく散歩に出ては、5~6時間も帰ってこないという有吉。夫の安否を気遣う夏目の気持ちも理解できるというものだろう。

【第1位】京都人なら分かる?ひなたがお嬢様の一恵や優等生の小夜子と同じ高校な理由!(2月14日) 

 2月11日放送のNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」第72話では、ヒロインの大月ひなた(川栄李奈)が高校の昼休みに教室で、親友の一恵(三浦透子)や小夜子(新川優愛)に「やっぱり就職かな。経済的に無理だと思う」と打ち明けていた。そのシーンに違和感を感じる視聴者が少なくなかったのである。

同じ高校に通うヒロインひなたら仲良し3人組。©NHK

 仲良し3人はひなたが回転焼き店の娘で、勉強はさほどできない様子。それに対して一恵は良家の子女で、将来は茶道の先生になる予定だ。そして小夜子は小学生のころから英会話などの習い事に通っている優等生で、卒業後は四大に進学して教師になるのが夢だという。

「普通ならひなたが公立高の下位~中堅校で、小夜子は進学校に通っていそうなもの。一恵が私立高でないのはともかく、3人とも同じ高校というのは実に不自然です」(テレビ誌ライター)

 だがこの場面、作中の昭和58年に高校生だったひなた世代の京都人にとっては、ごく当たり前の光景だというのである。

「50代以上の京都人は『当時は小学区制やったからな』と、懐かしい気持ちになっていたはず。京都では昭和59年度まで、住んでいる場所で進学できる公立高校がほぼ自動的に決まる方式を採用していたのです。だから近所同士のひなたたち3人が成績に関係なく同じ高校に通うのは、京都人にとっては当然のことでした」(受験事情に詳しいライター)

 ひなたの世代では京都大学への現役合格を目指す生徒と、卒業後は就職する生徒が机を並べているのは当たり前の光景だったという。また、ひなたたちは学校で制服を着ていないが、京都の公立高校は当時から私服だった。京都人の視聴者は、自分の高校時代を懐かしく思い出しているのかもしれない。