地元民はもちろん、全国の視聴者が、その設定に疑問を感じざるを得なかったようだ。
9月8日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第109回では、ヒロインの青柳暢子(黒島結菜)が東京・杉並から横浜・鶴見まで、電車で1時間超の距離を瞬間移動する「時空超越」の特殊能力が話題を呼んだ。
昭和47年(1972年)に沖縄から上京した暢子は、沖縄にゆかりのある人たちが数多く居住する“リトル・オキナワ”こと神奈川県横浜市の鶴見で下宿することに。同地で暢子は沖縄県人会会長・平良三郎(片岡鶴太郎)の知己を得て、我が家のように安心して暮らしてきた。
やがて暢子は7年間の料理人生活を経て、昭和54年(1979年)に独立。沖縄料理店開業の地に選んだのは、鶴見から電車を乗り継いで1時間超はかかる東京・杉並だったのである。鶴見の近くを選ばなかったのは、沖縄料理に馴染みのない東京の人にも、美味しい沖縄料理を食べてほしかったから。しかしそれだけでは、あえて杉並を選ぶ理由にはならなかったはずだ。
暢子は杉並のサンサン商店街に貸店舗を見つけ、沖縄料理店の「ちむどんどん」をオープン。しかし客足は途絶え、わずか2カ月で休業を余儀なくされた。第109回では鶴見北西信用金庫に融資の一部を返済するため、夫の和彦(宮沢氷魚)を伴って鶴見に移動。かつて下宿していた沖縄料理店の「あまゆ」にて信金職員を待ち受けたのだった。
「その移動はまるで、同じ商店街の別の店を訪れたかのように一瞬で描かれていました。しかも返済する40万円を店に置き忘れてしまい、暢子は信金職員に『すいません、すぐに戻ってきます』と言い残して店に戻ることに。しかし往復で2時間超の移動に『すぐに戻る』はどう考えても有り得ないでしょう。その帰路でも途中の移動は描かれることなく、またもや時空を超越して杉並まで瞬時に舞い戻っていたのです」(杉並区在住のライター)
思えば沖縄編では、姉の良子(川口春奈)がバスで名護から帰宅するなど、交通手段や移動の様子がちゃんと描かれていたもの。しかし暢子に関しては上京してから一度も電車やバスに乗るシーンがなく、鶴見から勤務先の銀座(電車で30分ほど)への通勤も一度として描かれたことはなかったのである。
では朝ドラではそういった移動は描かないのかと言えばさにあらず。前作の「カムカムエヴリバディ」では京都の条映太秦映画村に勤務するヒロインの大月ひなた(川栄李奈)が、嵐山電鉄に乗って通勤するシーンがあった。前々作の「おかえりモネ」ではヒロインの永浦百音(清原果耶)が、離島にある実家に船で行き来する場面が何度も描かれていたものだ。
ともあれ「ちむどんどん」でかたくなに移動シーンを描かないのも謎だが、それ以上に腑に落ちないのはやはり、暢子が東京・杉並を開業の地に選んだことだろう。
杉並区にはサブカルタウンとして有名な高円寺や、阿佐ヶ谷姉妹で知名度が上昇した阿佐ヶ谷などがあり、ドラマや映画の舞台に選ばれることも少なくない。京王線・代田橋駅の近くには沖縄タウンとして知られる杉並和泉明店街もあり、東京の沖縄好きにはおなじみだ。またJR中央線沿いは昔から学生街として多くの若者が住んでおり、新しい文化を受け入れやすい素地もある。
「ところが『ちむどんどん』の作中には、そういった杉並らしさを表す要素がひとつも出てこないのです。杉並区民の私でもサンサン商店街がどこにあるのか皆目見当がつきませんし、そもそも杉並っぽさが皆無。しかも暢子は商店街の人々と一言も言葉を交わしておらず、これでは杉並は冷たい人ばかりという印象も生まれそうで、区民としては不快ですらあります。そのあげくに鶴見と瞬間移動された日には、杉並の地名を出さないでほしいとクレームをつけたくなりますね」(前出・杉並区在住ライター)
東京での出店が目的だったのであれば、鶴見と銀座のあいだにある大田区でもよかったはず。それならあまゆとの移動にも無理はなく、鶴見で食品卸業を営む幼馴染の砂川智(前田公輝)が食材を納品する姿にも不自然さはなかったはずだ。
ちなみに脚本担当の羽原大介氏は日本大学芸術学部の出身で、同校のキャンパスは杉並区の北東側に隣接する練馬区に所在している。それゆえ羽原氏は鶴見と杉並の距離感は当然に知っているはず。それでもなお杉並を開業の地に選んだ理由は何だったのか。不愉快な思いを抱いている杉並区民に対してぜひ、弁明いただきたいものだ。