このヒロインは徹底して、お世話になった人たちを切り捨てていくつもりのようだ。
9月22日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第119回では、沖縄のやんばるに里帰りしたヒロインの青柳暢子(黒島結菜)が、母親の優子(仲間由紀恵)に「やんばるに移住したい」と打ち明ける様子が描かれた。その決意に多くの視聴者が呆れ果てていたという。
高校を卒業した昭和47年(1972年)に料理人を目指して上京し、東京・銀座のイタリア料理店「アッラ・フォンターナ」で7年間働いた暢子。同店から独立し、昭和54年(1979年)には東京・杉並に、沖縄料理店の「ちむどんどん」を開業していた。
そのかたわら、子供のころに面識のあった新聞記者の青柳和彦(宮沢氷魚)と再会し、略奪愛のような形で結婚。長男の健彦(三田一颯)が生まれてからは、義母の重子(鈴木保奈美)と沖縄県人会会長の妻・多江(長野里美)が、曜日替わりで健彦の面倒を見ていてくれたのだった。
「開業に際してはフォンターナのオーナーで自身の大叔母でもある大城房子(原田美枝子)から様々な助言をもらい、信用金庫との契約では沖縄県人会会長の平良三郎(片岡鶴太郎)に助けてもらったものです。料理店の経営が傾いた時には、のちに兄の比嘉賢秀(竜星涼)と結婚する猪野清恵(佐津川愛美)から、猪野養豚場で育てた上質な豚肉について教えてもらったこともありました」(テレビ誌ライター)
沖縄料理店の立ち上げでは、かつての同僚だった料理人の矢作(井之脇海)が尽力。里帰り中の営業を任せられるほどに信頼を置いている様子だ。このように暢子は大勢の人の助けを得て自分の店を安定軌道に載せ、上京の際に宣言した「東京で料理人になる!」という夢を実現させたはずだった。
だが今回、故郷のやんばるで畑を耕しているうちに、恩義のある人たちのことはすべて忘れてしまった様子。やんばるで野菜を作る自分に酔い、「ちむどんどんする!」と自分だけ勝手に盛り上がっては、すべてを捨てて故郷に移住(という表現もおかしいのだが)するとの決断を下したのである。
ここで暢子が思い出したのは、亡き父親の賢三(大森南朋)から教わった「まうとぅそーけー、なんくるないさ」という言葉。誠のことをしていればなんとかなる、といった意味だが、どうやら暢子は肝心の「誠のこと」を、自分がやりたいようにやることだと解釈しているのかもしれない。
「しかしその結果、大勢の恩人を裏切ってしまうことには少しも気が回らない様子。矢作に店の後始末を押し付け、義母の重子からは愛する孫の世話を取り上げ、さんざん世話を焼いてくれた県人会の仲間たちを顧みもせず自分たちだけ沖縄に帰るというのです。これではせっかく暢子を独立開業させた大叔母の房子も、何のためにド素人だった暢子を7年間も雇い続けて一人前の料理人に育て上げたのか、徒労に感じていることでしょう」(前出・テレビ誌ライター)
思えば暢子がまだ小5だった時に亡くなった父親の賢三は、病の床で家族全員に一言ずつ最期の言葉を遺していたが、暢子には「うん、うん」とだけうなずき、具体的な言葉を話さなかった。いま振り返れば賢三も、暢子には何かを伝えたところで言うことを聞かないからと思っていたのかもしれない。