【ちむどんどん】歌子が生死の境をさまようも、リアリティなさすぎる病室シーンに視聴者ドン引き!

 お涙ちょうだいのはずが、視聴者はすっかり白けてしまっていたようだ。

 9月29日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第124回では翌日に最終回を控えるなか、比嘉家の3女・砂川歌子(上白石萌歌)が生死の境をさまよう姿が描かれた。しかしそのシーンに多くの視聴者が感情移入できなかったという。

 幼いころから原因不明の熱を出しがちで、身体の弱かった歌子。それでも昭和59年(1984年)には幼馴染の砂川智(前田公輝)と結婚し、故郷の沖縄やんばる地方で幸せな暮らしを送っていた。

 ところが昭和60年11月24日、次女でヒロインの青柳暢子(黒島結菜)が念願の沖縄料理店「やんばるちむどんどん」を開店した日の夜に、体調を崩して意識朦朧となることに。救急車で病院に搬送されるも、状態はかなり思わしくなかったのである。

「夫の智と母親の優子(仲間由紀恵)が担当医に歌子の病状を尋ねると、医師は首を振りながらできることはやったと返答。『あとは本人の気力と体力を信じて、経過を見守るしかありません』とのことで、もはや歌子は余命いくばくもない末期患者さながらだったのです」(テレビ誌ライター)

 その後、歌子が目を覚ますも「みんな…」とつぶやいただけでまた眠ってしまうことに。ジョン・カビラのナレーションでは「それから3日経っても歌子の熱は下がらず、意識も朦朧としたままでした」と説明されており、すぐにでも虹の橋を渡ってしまわんばかりの有様だ。

 長女の良子(川口春奈)は「なんでいつもこうなってしまうわけ」と歌子の病状を嘆き、父親の賢三(大森南朋)が亡くなってから、借金まみれのなかで歯を食いしばってきた比嘉家の過去を回想。やっとみんなが幸せになれると思った矢先に、歌子が倒れてしまったことを悔しがっていた。

 視聴者としては歌子の容態を心配したいところだろう。だがそんな悲劇的なシーンにも関わらず、どうにも物語に没入しきれないのが正直なところだった。というのも歌子の病気を巡る描写があまりにも陳腐かつ杜撰だったのである。

「医師は歌子について、手の施しようもない末期患者と言わんばかりの口ぶりでした。そのわりには心電図も取っておらず、酸素マスクをつけるでもなく、点滴一本が装着されているだけ。まるで過労や熱中症で倒れた患者程度の扱いです。歌子は『沖縄北広域病院』に担ぎ込まれており、おそらくは名護市の沖縄県立北部病院を想定しているはず。県北部の医療を担う中核病院でこのような町医者レベル以下の対応を行うはずもなく、点滴ひとつで患者を放置するような描写には呆れるばかりですね」(前出・テレビ誌ライター)

公開された最終回の場面カットでも、歌子が過労で寝ている程度にしか見えない様子を露呈している。トップ画像ともに©NHK

 しかも医師が血圧を測る場面では、医療器具の使用法に不自然な描写が見受けられ、医療現場に関する考証がまともになされていない様子も露呈していた。

 それは歌子の右腕に巻かれた腕帯(マンシェット)。一部の視聴者からは<巻き方が逆です>と指摘されていたが、本来ならマンシェットから伸びるチューブが腕の先端側(末梢側)に出るべきところを、作中では肩方向に出ていたのである。

「視聴者に一目で見抜かれるような描写ミスも、本作でもはや定番となった“考証軽視”のひとつでしょう。翌日に最終回を控えるなか、いい加減な描写を続ける制作陣の姿勢には呆れるほかありません。院内に貼ってあるポスター類は頑張って作るのに、歌子はただベッドに寝ているだけというバランスの悪さは一体何なのか。これでは歌子を案ずる家族を演じている出演者たちが気の毒に過ぎるというものです」(前出・テレビ誌ライター)

 果たして歌子の容態は、そして暢子が立ち上げた沖縄料理店「やんばるちむどんどん」の経営はどうなるのか。そのすべてが最終回のたった15分で回収されるという現実に、視聴者も震撼していることだろう。