【ちむどんどん】沖縄と豚の逸話に「時代考証ミス」が潜むも、あえてスルーすべきワケとは?

 とてもいい話なのだが、やはり「ちむどんクォリティ」の呪縛からは逃れられなかったようだ。

 9月7日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第108回では、養豚場を営む猪野寛大(中原丈雄)が、沖縄の豚に関する逸話を披露。多くの視聴者がその物語に感動していた。だがそこには一つ問題が隠れていたという。

 ヒロインの青柳暢子(黒島結菜)が沖縄料理店を開業するも、客足が途絶えたことから開店2カ月での休業を余儀なくされることに。意気消沈の彼女を慰めるため、暢子が勤めていたイタリア料理店の「アッラ・フォンターナ」で食事会が催された。

 その食事会に、暢子の兄・賢秀(竜星涼)が乱入。賢秀は寛大の養豚場で働いており、この日は行方をくらました娘の清恵(佐津川愛美)を二人で捜索するなか、賢秀が清恵と一緒に食事したフォンターナを訪れたのだった。

 食事会では暢子の夫で沖縄文化に詳しい和彦(宮沢氷魚)が、沖縄では鳴き声とひづめ以外は全部美味しく食べると言われているとのエピソードを披露。すると寛大がおもむろに「沖縄と豚を語る上で忘れてはならない話が実は、ハワイにもあるんです」と切り出したのである。

 寛大は「海からぶたがやってきた!」という話を紹介。これは戦後、ハワイの沖縄移民たちが募金を募って550頭の豚を購入し、アメリカ本土から船で沖縄まで運んだという実話だ。戦前には10万頭以上いた沖縄の豚は、戦災により7000頭程度にまで激減。それが沖縄移民の寄付してくれた豚のおかげで急速に回復し、現在の食文化にもつながっているという。

 寛大は「彼らの願いはただひとつ、食糧難に苦しむふるさとの沖縄を助けたかった」と指摘。それらのエピソードに暢子は「なんか、つかめそう…」とつぶやき、沖縄料理店復活への手がかりをつかんだ様子だった。そんな物語のどこに、問題が潜んでいたのだろうか。

給与の支払いにも窮している暢子だが沖縄と豚に関する逸話にヒントを見いだせるのか。トップ画像ともに©NHK

「寛大が説明した『海からぶたがやってきた!』は、沖縄では小学生でも知っている有名なお話。学校で演劇として上演するなど広く親しまれています。しかし問題は、『ちむどんどん』の時代設定が昭和54年(1979年)だということ。というのもその当時にはまだ、このお話が作品として存在していなかったんですね」(週刊誌記者)

 子供向けノンフィクションの「海からぶたがやってきた!」は、作家の下嶋哲朗氏が平成7年(1995年)に発表した作品だ。下嶋氏は沖縄在来種のアグーなど南洋諸島の豚が黒いの対し、沖縄で育てられている豚のほとんどが白いのはなぜかという疑問を持ち、その調査結果などを地元紙の琉球新報に100回以上にわたって連載。それが同作の基となっている。

 下嶋氏自身は昭和53年(1978年)から執筆活動を行っているが、前述の通り「海からぶたがやってきた!」は平成7年の作品であり、ちむどんどんの舞台である昭和54年当時にはその題名を知る者はいなかったのである。

 そのため今回は、またもや「時代考証のミス」が露呈する結果となった。だがこれまでのいい加減な時代考証欠如とは異なり、今回のケースは温かい目で見守るべきとの指摘もあるようだ。

「ハワイの沖縄移民が豚を寄付した逸話は、当事者が英雄ぶることなく喧伝しなかったこともあり、下嶋氏が本にまとめるまではほとんど知られていなかったそうです。一方で沖縄の食文化に、ハワイの沖縄移民によって支えられた部分があるのもまた事実。それゆえ今回のエピソードは、沖縄出身の暢子が沖縄料理店を営むという主題から考えても、多少の時代考証ミスは温かい目で見守るのが正解なのでしょう」(前出・週刊誌記者)

 暢子がまだ小学生だったころ、沖縄の比嘉家ではアベベとアババという2頭の豚を飼っていた。その2頭も「海からぶたがやってきた!」に登場する550頭の豚たちが沖縄に遺した子孫の可能性も高い。どうやら今回は「ちむどんどん」には珍しく、伏線がキレイに回収されていたのかもしれない。