終戦の日に会いに来てくれた亡き父親は、愛する娘に「母親に会いに行きなさい」と言いたかったのではないだろうか。
3月18日に放送されたNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」第97話では、平成6年(1994年)の8月15日に、大月るい(深津絵里)が夫の錠一郎(オダギリジョー)を伴って、岡山の朝丘神社にお参りする様子が描かれた。
朝丘神社はるいの母親・安子(上白石萌音)がヒロインだった「安子編」において、何度も出てきたおなじみの場所。かつて安子が出征から帰ってこない夫・稔(松村北斗)の無事を願った場所でもあった。
その安子に背負われて何度もくぐってきた鳥居を、今度は夫と共にくぐったるい。時代が昭和から平成へと移り変わり、父親の稔が願っていた平和な世界が訪れたいま、るいは顔を見たこともない亡き父の冥福を祈りに来たのだった。
「終戦記念日のサイレンが鳴り響くなか、るいと錠一郎は神殿に手を合わせました。するとるいの隣には白い軍服姿の男性が。るいが『お父さんですか?』と問いかけたその人こそ、顔を見ないままに戦死した父親の稔だったのです」(テレビ誌ライター)
ここで稔は、かつて安子に語り掛けていた言葉を口に。それは「どこの国とも自由に行き来できる どこの国の音楽でも自由に聴ける 自由に演奏できる」というもので、戦前から戦時中を通して稔が願っていたものだった。
るいのほうを向き、「るい、お前はそんな世界を生きとるよ」と声を掛けた稔。その言葉を受けてるいは、錠一郎に「ジョーさん。私、アメリカに行きたい。お母さんを探しにアメリカに行きたい」との決意を口にしたのだった。
ただ、るいが6歳の時に渡米した母親の安子は、その行方も分からないまま。それこそ生死すらも定かではないはずだが、なぜるいは安子を探しに行きたいと決断できたのだろうか。
「それは稔が、一人でるいに会いに来たからでしょう。もし安子がこの時点で亡くなっているのであれば、夫婦そろって愛する娘に会いに来たはず。それが稔一人だったことに加え、るいに『どこの国とも自由に行き来できる』との信念を伝えたのは、ついぞ顔を見ることのなかった娘に『安子に会いに行きなさい』と伝える親心の表れだったに違いありません」(前出・テレビ誌ライター)
その安子を巡っては視聴者のあいだで、進駐軍の将校だった夫のロバートを伴って来日する場面が期待されていた。るいの娘で現ヒロインのひなた(川栄李奈)が条映太秦映画村に勤めていることから、観光の一環として映画村を訪ね、孫のひなたと偶然に出会うといった場面が予想されていたものだ。
そんな予想を良い意味で裏切った、父親・稔との出会い。稔が抱いていた信念を娘のるいが受け継ぐには、日米の国境を自由に行き来して安子を探しに行くのが一番ではないだろうか。