【ちむどんどん】なぜ賢秀は裸足に?視聴者も意外に知らない「アベベ」の秘密!

 そのシーンを疑問なく受け入れるかどうかで、その人の世代が分かるのかもしれない。

 4月20日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第8回では、ヒロインの比嘉暢子(稲垣来泉)らが通う山原小中学校で運動会が開催。比嘉家の4きょうだいもそれぞれの学年で、徒競走に出場した。

 運動が苦手な三女の歌子(布施愛織)は、練習の甲斐なく最下位に。それでも密かに慕う豆腐屋の息子・智(宮下柚百)から手製のモデルをもらい、嬉しそうだ。次女の暢子は足の速さが自慢だが、運動会ではボロボロのズックが走っている途中に破けてしまい、転んだことで最下位に転落。その悔しさをぐっと内側に抑え込んでいた。

 長女の良子(土屋希乃)は自宅で飼っている豚に新品の体操着をボロボロにされてしまい、ショックのあまり運動会には出ないと宣言。それでも気を取り直してボロボロの体操着を着たまま出走し、前年を上回る2位でゴールできていた。

「長男の賢秀(浅川大治)は、イジメっ子の島袋(吉田日向)に普段から貧乏をバカにされており、この日も『いいなお前たちきょうだい、負けてもズックのせいにできて』と、ボロボロのズックを笑われていました。するとニヤリと笑った賢秀はやおらズックを脱ぎ、『俺はアベベだ~!』と叫んで投げ捨てたのです。その姿に周りからも大歓声が。見事1位でゴールすると妹たちが駆け寄り、兄の勝利を祝福しました」(テレビ誌ライター)

 すると父兄たちもグラウンドになだれ込み、三線の演奏に合わせて祝い唄の「唐船ドーヰ」をみんなで踊ることに。賢秀の活躍を全員で祝うクライマックスとなっていた。

運動会の徒競走で見事優勝を果たした長男の賢秀。トップ画像ともに©NHK

 ところがそんなおめでたいシーンに、多くの視聴者から疑問が寄せられることに。それは賢秀が叫んだ「俺はアベベだ~!」という言葉の意味を巡るものだったというのだ。

「比嘉家では豚を飼っており、世話は賢秀の役目。その豚の名前が『アベベ』なのです。前日の夜にはアベベの豚小屋に賢秀が自分のズックと良子の体操着を置き忘れ、アベベのおもちゃとなることに。翌朝にはボロボロになった状態で発見されていました。そんなアベベの名前を叫んだ賢秀の真意は何なのかと、視聴者は煙に巻かれた想いだったことでしょう」(前出・テレビ誌ライター)

 よもや豚が裸足なのにちなんで、ズックをボロボロにしたアベベの力を借りようとしたのだろうか。わりと若い視聴者が頭を悩ませるなか、昭和世代の視聴者は賢秀の言葉に最初から納得していたという。しかもそんな昭和世代たちはむしろ、若い視聴者が<アベベ=豚の名前>だと思っていることに驚いているというのである。

「アベベと言えば、昭和39年(1964年)の東京五輪で史上初のマラソン二連覇を果たしたエチオピア代表アベベ・ビキラのことに決まっています。前回のローマ大会ではまったくの無名から優勝を果たし、しかも裸足で走ったことから大きな話題に。二連覇の期待がかかった東京五輪のころには、子供でも知っている超有名選手となっていました。だからこそ比嘉家の豚も、アベベにちなんで名づけられたのでしょう」(前出・テレビ誌ライター)

昭和生まれならおそらく知らぬ者はいないマラソンランナーのアベベ。書籍『アベベ・ビキラ: 「裸足の哲人」の栄光と悲劇の生涯』(草思社)。

 つまりアベベは運動会と同じ年に、東京五輪でも優勝していたことになる。作中では正確な日付が示されていないので、10月10~24日に開催された東京五輪との前後関係は分からないものの、当時はアベベと言えば裸足のマラソンランナーだと誰しもが知っていたものだ。

 しかも本作の脚本を手掛ける羽原大介氏は、東京五輪が開催された昭和39年の生まれ。その世代だとアベベは常識の範疇と言える世界的な著名人だった。どうやら本作は昭和の感覚をベースに作られているのかもしれない。