【ちむどんどん】良子はどうやって小学校教員になったのか、学費も工面できていた?

 この7年間、どうやって暮らしていたのか。その謎ときに視聴者も期待しているようだ。

 4月25日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第11回では、ヒロインの比嘉暢子が小五だった先週までとは一変し、物語の舞台は昭和46年(1971年)へと進むことに。比嘉家の4きょうだいもそれぞれ7年分、成長していた。

 長男の賢秀(竜星涼)は高校を中退したのち、定職にも就かずにブラブラすることに。長女の良子(川口春奈)は小学校の教員となり、学校では良子先生のファンクラブができるほどの美人さんだ。

 高三の暢子(黒島結菜)は卒業を控え、どんな社会人生活が待っているのか期待と不安を抱えている。そして高一の歌子(上白石萌歌)は相変わらず風邪を引きやすいようだ。

「子供たちが全員小中学生だったころの比嘉家は、父親の賢三(大森南朋)が500ドルの借金を遺して亡くなり、母親の優子(仲間由紀恵)は工事現場で働いていました。東京に住む賢三の叔母が子供を一人引き取る話になったものの、東京行きを決心した暢子が土壇場で心変わりし、その話もおじゃんに。今回の第11回では優子が村の共同売店で働いていることが明かされましたが、それだけではとても借金を抱えながらこども4人を育てることは無理ではないかと、視聴者も首をひねっています」(テレビ誌ライター)

 そんななか、暢子や歌子は高校のセーラー服を着ているものの、襟はくたっとしており、リボンもちゃんと輪っかの形にならないほどくたびれている様子。もしかしたら子供のころの体操着のように、先輩からのおさがりを着ているのかもしれない。しかも調理担当の暢子はスカートに焦げを作ってしまい、紺色ゆえに目立たないものの当て布で補修している様子だ。

 一方で良子は那覇の短大を卒業し、小学校の教員になったという。しかし高校の教員免許ならいざしらず、義務教育課程の教員免許を取得するためには四年制大学の教育学部などを卒業する必要があるのではないだろうか?

「意外に知られていませんが、短大でも小学校教員免許の第二種を取得することが可能です。実際に勤務している教員では全国平均で15%程度が二種免許の保有者。このように短大卒の小学校教員は決して珍しい存在ではありません。それゆえ教員を目指していた良子は実家の家計を鑑みて、より早く働けるようにと短大での教員免許取得を目指したのではないでしょうか」(学校事情に詳しいライター)

地元の小学校で教える良子。ファンクラブができるのも納得の美しさだ。©NHK

 そんな良子は「那覇の短大」を卒業して教員免許を取得したという。昭和45年当時に那覇市内に所在し、なおかつ小学校教員免許第二種を取得できたのは沖縄女子短期大学のみ。もっともドラマでは現実の短大を想定しているわけでもないだろう。

 とはいえ、学費の問題はさすがにファンタジーのままで済ませるのは無理があるというもの。ただ困窮状態の比嘉家であっても、良子が短大に通うことはできたというのだ。

「返還前の沖縄には、本土の日本育英会に相当する琉球育英会があり、奨学金を得ての短大進学が可能でした。また当時は“返還特別免除”という制度があり、小学校の教員になれば奨学金の返済が免除されたのです。これらの制度を利用して良子は短大に通い、就職した後は奨学金の返済に追われることなく、家計にお金を入れているのでしょう。長男の賢秀が定職に就かないなか、良子が教員になったことで比嘉家の家計は大幅に好転したのではないでしょうか」(前出・ライター)

 母親の優子は那覇の料理店で育ったことを明かしている。そうなると良子は短大生当時、親戚の家に居候していたのかもしれない。