【ちむどんどん】母親に電話を掛けた暢子、通話料金は一体いくらだったのか問題!

 50代以上の視聴者はそのブザー音を懐かしく思ったことだろう。

 5月18日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第28回では、ヒロインの比嘉暢子(黒島結菜)が公衆電話から、沖縄にいる母親の優子(仲間由紀恵)に電話を掛ける場面があった。

 料理人を目指して上京し、横浜・鶴見で沖縄県人会の会長を務める平良三郎(片岡鶴太郎)のはからいで、銀座のイタリア料理店「アッラ・フォンターナ」への紹介状を書いてもらった暢子。料理作りのテストでは不合格となったものの、「自分の得意料理を作る」という条件で再試験を受けさせてもらえることになった。

 しかし自分の最も得意な料理は何かと思い悩む暢子。実家でよく作っていた「フーチャンプルー」には麩、「ソーミンチャンプルー」にはそうめんが必要で、いずれもイタリア料理店の厨房にはないものばかりだ。そこで暢子は母親に助けを求めたのであった。

 暢子はレストランの向かい側に置かれていた赤い公衆電話から、優子が働いている山原村の共同売店宛てに電話を掛けた。だが前々回、市外局番の概念を知らない暢子は横浜(045)から東京(03)への電話が通じないと困っていたはずだが…?

「その答えは地方出身の人なら分かるはず。というのも優子が暢子に電話番号を伝える際、東京から掛けてくることを念頭に市外局番から書き残していたのは間違いないからです。また昭和47年の沖縄返還では、電信電話事業が琉球電信電話公社から日本電信電話公社(電電公社)に移管され、それに伴って市外局番も変更されることに。やんばる地区では056が098056に、057が098057にといった具合で変更されました。それもあって優子が0980で始まる電話番号を伝えていたのは確実です」(IT系ライター)

 無事に優子に電話がつながった暢子だが、すぐに「追加の10円玉を投入してください」という意味のブザー音が鳴っていた。焦った様子の暢子は次々と10円玉を投入していたが、当時の遠距離通話はいったいどれくらい高かったのだろうか。

次々と10円玉が吸い込まれるなか、焦った様子で沖縄に電話していた暢子。©NHK

 ちなみに彼女が使っていたのは昭和41年(1966年)に登場した「大型赤電話機」という機種で、10円玉を一度に6枚まで投入することができた。そのおかげで公衆電話からも遠距離通話ができるようになったのである。

 現在の公衆電話料金は、20キロまで、30キロまでと距離に応じて高くなる仕組みで、全部で8段階を用意。最も高い「160キロ超」では10円で8秒となっている。

 それが昭和47年当時には「240キロまで、320キロまで、500キロまで、750キロまで、750キロ超」と、距離別料金がさらに細かく規定されていた。東京から沖縄は最大料金にあたる「750キロ超」に該当していたのである。

「その料金は実に10円で2.5秒という短さ。今回の通話シーンでも約15秒ごとにブザー音が鳴っており、一度に投入できる10円玉6枚ぶん、すなわち60円で15秒しか話せない様子が示されていました。暢子は10円玉を山盛りにしていましたが、作中で優子との会話は1分ほどに及んでおり、彼女は1回の通話でなんと240円ほども使っていたのです。これは現在の価値で1200円ほどに相当します」(前出・IT系ライター)

 現在なら携帯電話同士の通話は30秒22円(1分で44円)が一般的。LINE電話などのIP電話ならギガさえ残っていれば無料だ。

 様々な物価がこの50年で大きく上昇したなか、電話料金は逆に驚くほど安くなっていた。今回の通話シーンを見て、暢子に「私のスマホを貸してあげたい!」と思った視聴者も少なくなかったことだろう。