【ちむどんどん】賢三は銀座で働いていた!?大城オーナーが語る「因縁」の正体とは

 暢子が生まれるはるか前に、大きな事件があったようだ。

 5月23日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第31回では、銀座のイタリア料理店「アッラ・フォンターナ」で働き始めたヒロインの比嘉暢子(黒島結菜)が、オーナーから課された10連勤をやり通した姿が描かれた。

 料理人を目指して上京し、縁あって「アッラ・フォンターナ」に採用された暢子。そこでオーナーの大城房子(原田美枝子)は未経験者の暢子にいきなりの10連勤を命じた。いかにも厳しそうなオーナーは「尻尾まいて逃げ出されるなら、早い方がいいでしょ?」と暢子を試している様子だったが、頑張り屋の彼女は一回だけ寝坊で遅刻したものの、休むことも逃げ出すこともなかったのである。

 毎日、朝8時から夜の11時まで働きづくめの暢子。彼女を見守る料理長の二ツ橋シェフ(髙嶋政伸)は、オーナーに「比嘉さんにはご指示の通り、何もアドバイスもせず様子を見ていますが、なぜです?」と質問していた。彼はオーナーの態度を「まるで辞めさせたいような」と感じていたようだ。

「するとオーナーは、厨房に置かれている暢子の包丁を凝視。その視線に気づいた二ツ橋も近づいてその包丁を見ると、そこには暢子の父親である『比嘉賢三』の名前が彫られていることに気づきました。するとオーナーは『ちょっと、因縁があるのよ』とつぶやいたのです」(テレビ誌ライター)

 賢三とオーナーの因縁とは一体何なのか? 暢子を同店に紹介した沖縄県人会会長の平良三郎(片岡鶴太郎)は、紹介状に「比嘉さんは亡くなった比嘉賢三君の娘です」と書き添えていた。そうなるとオーナーは、賢三が亡くなる以前から知り合いだったことになる。

 視聴者のなかには、オーナーが賢三の叔母ではないかと予想する向きも。賢三が亡くなった時、東京に住む叔母から比嘉家に手紙が届き、4きょうだいのうち一人を引き取ってもいいと書かれていたからだ。

 当時小五だった暢子が東京に行くことになったものの、ぎりぎりで翻意して沖縄に残ることに。叔母としてはせっかくの申し出が恩を仇で返される形になったことから“因縁”と感じていても不思議はないだろう。

 だが「ちむどんどん」を初期から観続けている視聴者は、その見方を否定しているようだ。そこにはれっきとした根拠があるというのだが。

「大事なポイントは包丁です。暢子が持参していた包丁は上京時に母親の優子(仲間由紀恵)が持たせてくれたもので、いわば父親の形見。その包丁をオーナーが見つめていたのは、決して比嘉賢三という名前だけに意識が向いていたのではなく、包丁そのものに因縁がこもっているからではないでしょうか」(前出・テレビ誌ライター)

暢子にとっては父親の形見である包丁だが、大城オーナーにとっては“因縁”の象徴のようだ。トップ画像ともに©NHK

 その根拠となるシーンが、4月13日放送の第3回で明かされていたという。

 この回では賢三が暢子に、沖縄そばの作り方を伝授。こねあげた麺生地を包丁で切っている時、包丁に名前が彫られていることに気づいた暢子は「包丁、お父ちゃんの名前が書いてある。なんで?」と訊ねていた。すると賢三は、「これは昔、世話になった人がくれた、お父ちゃんの宝物さ」と答えていたのである。

「その包丁にオーナーが注目していたということは、賢三の言う『世話になった人』がオーナーだった可能性が高い。しかも“宝物”と言い切っていますから、賢三にとってオーナーは大事な存在なのでしょう。ただ人間関係というのは立場によって見方が変わるもの。オーナーから見ると賢三は、何らかの裏切りをしでかしたのかもしれません。しかし自分の贈った名前入りの包丁が娘の暢子に受けつがれ、今でも大事に使われているという事実はオーナーにとっても嬉しいはずで、複雑な感情を生み出していそうです」(前出・テレビ誌ライター)

 オーナーが賢三のことを憎んでいるのであれば、そもそも暢子を雇うことすらなかったはず。どうやら彼女の心の奥底には、賢三に対する恨みつらみと懐かしさの両方が混在し、いわゆるアンビバレンツな感情となっているのかもしれない。