【ちむどんどん】歌子、オーディション合格で「伝説的アイドル」として覚醒する!?

 ついに歌子が覚醒か!? 一瞬の映像に大きく期待感を高めた視聴者も多かったようだ。

 5月27日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第35回では、比嘉家の三姉妹にそれぞれの動きがあった。長女の良子(川口春奈)は教員仲間の石川博夫(山田裕貴)と結婚し、白無垢に角隠しの和装で盛大にお披露目するシーンが描かれていた。

 高校を卒業して上京したヒロインの暢子(黒島結菜)は無事、銀座のイタリア料理店「アッラ・フォンターナ」で働けることに。一度はクビになりかけるもオーナーの大城房子(原田美枝子)には絶対服従するといった条件を受け入れ、同僚のコックたちには「暢子」と下の名前で呼んでもらえるようになっていた。

 そして高二の三女・歌子(上白石萌歌)は本編でこそとくに変化がなかったものの、最後に放送された次回予告にて、人見知りで内気な性格を打ち破る決心を見せていたのである。

「次回予告では他の参加者と共にオーディションに臨む姿が映し出され、『歌手のオーディション、受けてみようかと思って』と語る声も入っていました。さすがに高校生の身ではいきなり東京のオーディションに参加することは無理でしょうから、まずは那覇で開催されたオーディションに挑戦したのではないでしょうか。画面には他の参加者二人も映っているなか、歌子だけがセーラー服姿だったのも印象的。人前で着飾るような服は持っていないのかもしれません」(テレビ誌ライター)

半年ぶりに里帰りして良子の結婚お披露目に立ち会った暢子。セーラー服姿の歌子よりよっぽどアイドルっぽい様子だ。トップ画像ともに©NHK

 その歌子は沖縄民謡など古い曲を得意とする一方で、昭和46年(1971年)リリースのヒット曲「翼をください」もレパートリーの一つとしており、本人としてもそういった歌手を目指していたのかもしれない。

 だが彼女の年齢と、昭和47年当時の芸能界を取り巻く世相から考えると、芸能界側が歌子に求めるのは別のジャンルとの見方があるようだ。

「歌子は昭和30年度(1955年度)生まれで、伝説的アイドルグループ『キャンディーズ』のミキ(藤村美樹)と同学年。当時は日本にアイドル文化が生まれたてのころで、歌子のように若くて可愛い女性は有力なアイドル候補でした。そしてなにより注目したいのは、彼女が沖縄出身ということ。というのも『日本のアイドル第一号』と称される南沙織がまさに沖縄出身だったからです。しかも南は昭和29年生まれですから、ひとつ年下の歌子は《南沙織に続く沖縄生まれのアイドル》にふさわしい存在だと言えるでしょう」(アイドル誌ライター)

 ここで注目したいのが歌子の髪型だ。おさげにしているので分かりづらいが、いつも真ん中分けになっている。ということは胸元まで伸びるおさげを降ろせば、南沙織と同じような髪型になるわけだ。歌子を演じる上白石萌歌は普段、そこまでパッキリと髪を分けていないので、歌子の髪型には「南沙織っぽく」という意図が込められている可能性もあるのではないか。

 ただ、デビュー前から地元の琉球放送でアシスタントを務めていたという南沙織とは異なり、歌子はかなりの人見知り。とても同じようなアイドル活動ができるとは考えづらいが、その点はどうなのだろうか?

「意外かもしれませんが、南沙織のデビュー曲でヒット曲の『17歳』には振付というものがなく、ほぼ直立不動で歌っていたのです。これならさすがの歌子でも同じように歌えるはず。しかも当時はアイドルがバラエティ番組に出演する機会も少なく、ドリフターズの『8時だョ!全員集合』(TBS系)くらいだったもの。だから人見知りの歌子でも、大勢の客の前で歌うことさえできるようになれば、南沙織のようなアイドルに華麗に変身することもできるはずです」(前出・アイドル誌ライター)

 果たして歌子が暢子を頼りに上京し、アイドルとして覚醒することはあるのだろうか。番組のファンとしては、歌子がアイドル衣装で歌う姿にぜひ期待したいところだろう。