なぜ東洋新聞の投書欄なのか。その謎はいずれ解けるのかもしれない。
6月2日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第39回では、若手記者の青柳和彦(宮沢氷魚)が、イタリア人シェフのアレッサンドロ・タルデッリ(パンツェッタ・ジローラモ)への追加取材を実現するために奮闘する姿が描かれた。
前回、タルデッリに「我が生涯最後の晩餐」について取材した和彦。人生の最後に食べたい料理がピザ・マルゲリータだとは聞き出せたものの、その理由やいつどこで誰とピザを食べたのかは時間切れで聞くことができなかった。
その点を学芸部デスクの田良島甚内(山中崇)から突っ込まれ、追加取材を命じられた和彦。しかし取材依頼はおろか連絡を取ることさえできず、田良島デスクは“ブレーン”として信頼するイタリア料理店「アッラ・フォンターナ」の大城房子(原田美枝子)オーナーに仲介をお願いしたのだった。
「最初の取材も大城オーナーの計らいで実現したもの。イタリアで料理修業した経歴を持つ彼女はイタリア語にも堪能で、電話では『La prego! Come? Cosa posso fare? Mi dica.』(お願いします! え、どうやって、何をすればいいですか? おっしゃってください)などと会話していました。その甲斐あって条件付きながら、追加取材を受けてもらえることになったのです」(テレビ誌ライター)
その条件とは、翌朝までに東洋新聞から投書記事を一つ見つけること。1960年代のどこかで、ある女性がピザについて投書したものだという。新聞社には過去の紙面を一冊にまとめた縮刷版があるものの、10年分といえば3600号近い膨大な量だ。そこからたった一晩で件の投書を探し出すことはできるのか。
条件を聞いた和彦は、その大変さにため息。恋人で同僚の大野愛(飯豊まりえ)も「明日の朝までにとなると…」とあきらめ顔だ。そこにはっぱをかけたのがヒロインの比嘉暢子(黒島結菜)。東洋新聞社のボーヤ(雑用係)として働いている彼女は、「捜すしかない! 何が何でも探して追加取材して納得のできる記事を書くんでしょ」と持ち前の元気さを発揮して、和彦を元気づけたのであった。
夜を徹して縮刷版と取り組んだ三人。すると夜も明けたころに暢子が「あった…これ!」と絶叫。ついに1968年(昭和43年)の縮刷版から、その記事を見つけたのだった。暢子が見つけたのは「思い出のピザ・マルゲリータ」と題された投書で、送ったのは長年地元の幼稚園で先生をしている人だという。その人が投書した理由は「どうしてもある人に伝えたいことがあるからです」と書かれていた。
暢子らの努力が見事に実った場面だったが、その投書を巡って、視聴者からは疑問の声があがっていたという。
投書によると、筆者は戦後間もない焼け跡闇市の時代に一人の男性と出会い、恋に落ちたのだとか。投書の途中が途切れているので詳細は分からないが、どうやらピザを提供する店で食べたピザ・マルゲリータの味が忘れられなかったようだ。しかしある日、ピザの味に違和感を感じることに。それはどうやら焼く人が変わってしまったからだという。
「問題はなぜこの投書をタルデッリが探していたのかということ。タルデッリは地元のイタリア・ミラノで三ツ星レストランのシェフを務めており、1968年の日本で東洋新聞の投書欄を見るとはとても思えません。しかも投書の内容は戦後の闇市時代にピザを食べて感動したという話であり、イタリア在住の彼に関係ある話とは思えないのです。そう考えると、この投書を探していたのはタルデッリではなく、大城オーナーだったのではないでしょうか」(前出・テレビ誌ライター)
タルデッリ側との交渉は大城オーナーに一任されていたため、「条件」の内容を知るのも彼女一人だ。そこに自分の希望を条件として紛れ込ませることも可能だろう。
しかも大城オーナーは、コックたちの話によると、戦後の闇市で一杯飯屋から身を興し、様々な料理店を開いていった立志伝中の人物。その後、イタリアに渡って日本大使館に勤め、現地でイタリア料理の修業をしたという。そんな彼女が日本でピザ・マルゲリータを提供しており、イタリア行きに伴ってピザを焼く人が替わったとすれば、投書の内容にも合致するのである。
「自分の店で働いていた暢子にクビを宣告し、撤回の条件として東洋新聞社でのボーヤを言い渡した大城オーナー。そんなオーナーは暢子の生真面目さや周りを明るくする元気さなど、彼女の長所も見抜いていたことでしょう。それゆえ暢子なら自分の希望を叶えてくれるとして、投書探しを命じたのではないでしょうか。そうなのであれば、彼女の目論見は見事に成功していたようです」(前出・テレビ誌ライター)
視聴者が気にしている大城オーナーと暢子の関係も、今回の投書を巡る一件を機に、進展していきそうだ。