人間力という意味では、暢子のほうが上回っているのでは? そう感じた視聴者も少なくなかったことだろう。
6月2日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第39回では、東洋新聞社の若手記者である青柳和彦(宮沢氷魚)が、イタリア人シェフのアレッサンドロ・タルデッリ(パンツェッタ・ジローラモ)に再取材を依頼する様子が描かれた。
前回、東洋新聞の人気企画である「我が生涯最後の晩餐」を書かせてほしいと上司の田良島デスク(山中崇)に直訴し、タルデッリの取材へ漕ぎつけていた和彦。だが提出した原稿を巡って内容の乏しさを田良島から指摘され、再取材を命じられていた。
しかし基本的にマスコミの取材を断っているタルデッリ側に、取材依頼どころか連絡すらつかない和彦。ここで田良島がまたもや一肌脱ぎ、イタリア料理店「アッラ・フォンターナ」の大城房子オーナー(原田美枝子)に仲介を頼むことで、条件付きでの再取材を受けてもらえることになった。
その条件とは1960年代の東洋新聞に掲載された投書を見つけてほしいというもの。それを聞いた和彦は大きなため息をついて諦め顔に。するとヒロインの比嘉暢子(黒島結菜)が「捜すしかない! 何が何でも探して追加取材して納得のできる記事を書くんでしょ」と、和彦を励ましたのだった。その暢子は大城オーナーの命により、東洋新聞社にボーヤ(雑用係)として勤務。そんなボーヤが記者を励ますという逆転の構図になっていたのである。
「この場面では、多くの視聴者が和彦の不甲斐なさに呆れたことでしょう。再取材の条件は、自社の縮刷版から一通の投書を探し出すだけという簡単なお仕事。根気と集中力は必要ですが、誰にでもできる仕事です。それを“時間が足りない”というだけでしり込みするなど、膨大な資料に取り組むのも重要な仕事である新聞記者としては、心構えの時点で失格ではないでしょうか?」(週刊誌記者)
投書探しには暢子、そして和彦の同僚で恋人の大野愛(飯豊まりえ)も協力。夜が明けたころになってついに暢子が「思い出のピザ・マルゲリータ」と題された投書を見つけていた。彼女が手にしていたのは1968年の縮刷版。1960年版から順番にチェックしていたのであれば、和彦ひとりではとてもそこまで追いつかなかったことだろう。
そんな場面を制作側では「一件落着」として描いているようだが、取材経験を持つ業界関係者に言わせれば、そもそも再取材が必要になること自体がおかしいというのである。
「和彦が執筆を直訴した『我が生涯最後の晩餐』は、著名人が人生最後に食べたい思い出の食について語るという企画です。それなら取材のメインはその“思い出の食”になるはず。ところが取材シーンでの和彦は最初に、イタリアの地元料理について質問。その後も肝心の主題については触れず終いだったようで、約束の時間も過ぎたという段階になって初めて、最後の質問として『あなたが人生の最後に食べたい、思い出の料理は何ですか?』と訊ねていたのです。つまり和彦は本来の取材時間中に、取材で最も大事なテーマについて何も訊いていなかったのであり、これでは記者として完全に失格でしょう」(前出・週刊誌記者)
和彦が最後に「思い出の料理は…」と切り出した際には、多くの視聴者が<ここでか!?>と驚いたはず。むしろそれまでの間、いったい何を訊いていたのかと理解に苦しむほどだ。
だがこういった頓珍漢な取材は、若手の記者にはけっこうありがちとの指摘もあるという。
「イケイケどんどんの若手ほど、取材の本質から離れてしまい、自分の興味があることばかりを訊いてしまいがち。好奇心旺盛なのは良いことですが、最も肝心な『読者の視点』に欠けてしまう傾向があるのです。しかし『我が生涯最後の晩餐』が人気企画だということは、読者が著名人の食べたい料理について大きな興味をもっていることの表れ。その大事な質問を最後の最後に持ってきてしまった時点で、和彦には読者の視点という概念が欠けていたのでしょう」(前出・週刊誌記者)
アメリカ留学の経験があり、有望な若手とみなされている和彦。沖縄の文化や生活にも興味があり、わざわざ横浜・鶴見のリトル・オキナワに下宿を借りてまで、沖縄についての記事を書きたい様子だ。しかしその想いが肝心の「ウチナンチューの心」を置き去りにしてしまう恐れもあるのではと、視聴者は気もそぞろになってしまいそうだ。