【ちむどんどん】じゃあ賢三は誰の子供なのか?視聴者も混乱する血縁関係をあらためて整理!

 その女学生が戦災で亡くなっていたのなら、賢三は誰の子供なのか? そんな疑問の声もあがっているようだ。

 6月9日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第44回では、東京・銀座のイタリア料理店「アッラ・フォンターナ」の大城房子オーナー(原田美枝子)に妹がいたことが判明。その一方で親戚であるはずの大城オーナーとヒロイン比嘉暢子(黒島結菜)との血縁関係に、頭を悩ませている視聴者も少なくないようだ。

 大城オーナーから、おでん屋台の立て直しを命じられた暢子。その屋台は、戦後の混乱期に若かりしころの大城オーナーにいろいろと世話を焼いてもらった安孫子ヨシ(大島蓉子)から預かっているものだ。

 ヨシが「あの人も空襲で、たった一人の妹を亡くして…」としみじみ語ると、暢子は「オーナーには妹さんがいたんですか?」と驚くことに。するとヨシは「戦前に両親を亡くしてた。その妹はたった一人の家族だった」と、大城オーナーの境遇を語ったのであった。

「大城オーナーは暢子の亡き父親・賢三(大森南朋)の叔母なので、唯一の妹は賢三の母親となるはず。ところが当の妹が亡くなっていたことが分かったことから、視聴者のあいだからは《じゃあ賢三の本当の母親は誰!?》といった疑問が噴出したのです。なかには賢三はもらいっ子であり大城オーナーと血縁関係はない、との考察まで飛び出す始末でした」(テレビ誌ライター)

 なんとも視聴者を悩ませている大城オーナーと賢三の関係。たしかに前回のラストシーンで大城オーナーが眺めていた写真には、彼女と女学生の二人が写っていた。その女学生が戦災で亡くなっていたのであれば、視聴者が疑問に思うのも無理はないところだ。そんな疑問を生み出す原因は、登場人物の具体的な生年月日が誰一人として明かされていないことにある。そこであらためて、各登場人物の年齢を整理してみたい。

年齢が分かっている比嘉4きょうだい。だが父親・賢三の過去は教えらえていなかったようだ。トップ画像ともに©NHK

 まず具体的な年齢が判明しているのは暢子をはじめとする比嘉4きょうだいだ。暢子は沖縄が日本に返還された昭和47年(1972年)に高校を卒業しており、昭和28年度(1953年度)生まれなことは確実。早生まれかどうかは明示されていないが、ここでは分かりやすさを優先し、昭和28年生まれだったことにしよう。

 すると長男の賢秀(竜星涼)は暢子の4歳年上なので昭和24年生まれ、長女の良子(川口春奈)は3歳年上で昭和25年生まれとなる。一方で三女の歌子(上白石萌歌)は2歳年下なので昭和30年生まれという計算だ。

 次に両親だが、賢三と優子(仲間由紀恵)の年齢は示されておらず、どちらが年上かも不明だ。ただ長子の賢秀が昭和24年生まれなことに加え、当時の初婚年齢が平均で25~26歳だったことを考えると、大正末期から昭和一桁の生まれだと推定できる。

 また、賢三は4月12日放送の第2回で「自分は中国をあっちこっち」と語っており、陸軍に所属していたことを示唆していた。戦時中は徴兵が20歳以上、志願兵は17歳以上が条件だったので、賢三が昭和3年生まれより遅いことはありえないこととなる。

「志願兵には親を楽にさせたいという動機で応募する若者も多く、賢三が若くして陸軍に入った可能性もあります。彼は料理も大工もこなせますが、大工の技術は軍務で身に付けたのかもしれません。一方で若いころは鶴見で働いていたことも分かっており、復員後に唯一の肉親である房子の仕事を手伝っていたと考えるのが合理的でしょう」(前出・テレビ誌ライター)

桜井ユキが演じる若かりしころの大城オーナー。この前後に甥の賢三を雇っていたのだろうか。©NHK

 賢三の母親(大城オーナーの妹)は鶴見の空襲で亡くなっている。横浜・鶴見区では昭和19年12月に空襲被害があり、昭和20年には何度となく空襲に襲われていたため、亡くなったのは昭和20年の可能性が高い。その時点で賢三は軍人として中国に駐留しており、母親の死に目には会えなかったようだ。

「年齢的に、大城オーナーの妹が賢三の母親であることに不自然な点はありません。ただ大城オーナーの眺めていた写真に写っていた妹が女学生姿だったので、視聴者を混乱させたようです。この写真は妹がまだ女学生だった大正末期に撮影したものなのでしょう。大城オーナーは戦前に一度は自分の店を持ったものの、空襲ですべてを失い、戦後はまた屋台からやり直していたのかもしれませんね」(前出・テレビ誌ライター)

 第44回では昭和21年の冬(おそらく1~2月)に大城オーナーがおでんの屋台を営んでいる姿を描いていた。その前後に大城オーナーの仕事を手伝ったあと、母親を失った賢三は父方の叔父である賢吉(石丸謙二郎)を頼って沖縄に渡ったのだろうか。そして那覇出身で食堂の娘である優子と出会い、昭和24年に長男の賢秀が生まれたという流れになりそうだ。

 大城オーナーは賢三との間に「因縁があるのよ」と語っていたが、果たして二人は喧嘩別れしたのか、それとも別の別れ方があったのか。その辺の過去は今後の放送で描かれることだろう。