その話が本当なのであれば、辻褄が合わないのでは…。そう首をひねった視聴者も少なくなかったようだ。
6月10日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第45回では、イタリア料理店「アッラ・フォンターナ」の大城房子オーナー(原田美枝子)が、亡くなった妹さんについて語る場面があった。
ヒロインの比嘉暢子(黒島結菜)は大城オーナーにとって、甥の賢三(大森南朋)の娘にあたる。そんな姪孫の暢子に大城オーナーは、おでん屋台の立て直しを命じていた。暢子は試行錯誤を経て味の基本に立ち返り、足てびちをタネに使うという沖縄出身者らしい工夫も加えることで、屋台は口コミの客でにぎわうようになっていた。
おでんの味と繁盛ぶりに納得した大城オーナーは、暢子をフォンターナに戻すことに。ミッションをクリアした暢子は大喜びし、ヒロインが成長する姿に視聴者も目を細めていたことだろう。だがその一方で、大城オーナーが暢子に語った昔話に、どうしても計算の合わない点があったというのだ。
「大城オーナーには唯一の肉親である妹さんがいたものの、空襲で亡くなっていました。暢子が『聞きました、妹さんのことを』と伝えると、めったに自分のことを話さない大城オーナーは亡き妹さんについて語り出すことに。しかしその話には、これまでの物語と矛盾する点が含まれていたのです」(テレビ誌ライター)
大城オーナーは妹さんについて「ちょうどあなたと同じ年格好だった」と回想。空襲で生き別れ、どこかで生きていてくれると信じてずっと探し続けていたという。しかし「2年経って、最期を看取ったという人に出会って、ようやく諦めがついた」と、いきさつを語っていた。
この時点で物語は昭和49年(1974年)の冬になっており、暢子は21歳。それゆえ大城オーナーの妹さんは昭和20年ごろに、21歳前後で亡くなっていたようだ。
だがその話に従うと、これまで作中で語られてきた人間関係と辻褄が合わなくなってしまうというのである。
「亡くなった妹さんは、暢子の亡き父親である賢三にとって母親のはず。しかし賢三は、戦時中に軍隊にいたと語っていたことから、昭和3年生まれより遅いことはありえせん。そうなると、昭和20年に21歳前後だった妹さんが母親というのはありえない計算になるのです」(前出・テレビ誌ライター)
数字は嘘をつかない。すなわち亡くなった妹さんが賢三の母親というストーリーはどうしても破綻することになってしまうのだ。その原因だが、ひとつには制作陣のミスが考えられる。登場人物の相関図を作る際、それぞれの年齢を厳密に設定しなかったため、矛盾が生まれてしまったのだろうか。
そしてもう一つ、年齢の矛盾を解決できる方法があるという。ここまで作中で語られていない裏設定があれば、それが可能になるというのだ。
「作中では実のところ、亡くなった妹さんが賢三の母親だとは明言されていません。そうなると、賢三が大城オーナーの実子という可能性も浮上してきます。それなら年齢の矛盾も解決できるはず。大城オーナーと賢三の間にはなにかしらの“因縁”があったそうですから、それが原因で本来の母子関係を《伯母と甥》と偽っていたのかもしれませんね」(前出・テレビ誌ライター)
その場合、大城オーナーは暢子の大叔母ではなく、実の祖母ということになる。いずれにしても暢子がフォンターナで明らかに特別扱いされているのは、血の繋がった肉親だからに違いない。口では「誰の親戚とか一切関係ない」と語っている大城オーナーだが、賢三の娘である暢子にはやはり、特別な思いを抱いているようだ。