もはやヒロインも、ちょっとやそっとの「都合の良すぎる展開」は、受け入れて当たり前なのかもしれない。
6月24日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第55回では、シェフ代行に任命されたヒロインの比嘉暢子(黒島結菜)が、先輩コックたちからの信頼を取り戻す姿が描かれた。
両足骨折の大怪我を負った二ツ橋シェフ(髙嶋政伸)からの推薦もあり、一番下っ端ながら、イタリア料理店「アッラ・フォンターナ」のシェフ代行を任された暢子。だが気合いばかりが空回りしてしまい、兄・賢秀(竜星涼)からの「絶対に謝るな」との助言を真に受けたこともあって、厨房ではすっかり孤立してしまっていた。
それが母親の優子(仲間由紀恵)から、自分の長所は「ありがとう」と「ごめんなさい」を素直に言えるところだと指摘され、自らの態度を改めることに。今回は冒頭で先輩たちに「ごめんなさい」と謝罪し、「素直に頭を下げて、みなさんの知恵や力を借りるべきだと反省しました」と告白。その甲斐あって厨房の雰囲気もすっかり良くなり、シェフ代行を正式に続けることとなった。
「ピンチに陥るたび、周囲からの助けを得てきた暢子。二ツ橋シェフからも評価されている人柄の良さや、周りを明るくする前向きな性格が、自分自身を助けているのでしょう。これで問題解決と言いたいところですが、今回の第55回では見過ごすことのできない“あり得ない描写”が散見されたのです」(テレビ誌ライター)
そのひとつがズッキーニだ。前々回の第53回では納入業者からズッキーニの納品ができないとの電話があり、翌週のメニュー変更を余儀なくされていた暢子。ところが今回、幼馴染で食品卸業者に勤める砂川智(前田公輝)が夜行列車で岡山の生産者を訪ね歩き、これまでより高品質のズッキーニを何箱も調達してくれていた。
暢子への恋心を抱く智ゆえ、彼女のためなら何でもしてあげたいという気持ちの表れだったズッキーニ。そんな智に救われた格好の暢子だったが、そもそもこの描写自体に無理があるというのだ。
「日本でのズッキーニ栽培は昭和40年代後半に長野で初めて行われ、昭和50年代中ごろから各地に広まってきました。つまり作中の昭和52年時点において、岡山でズッキーニを調達できたかどうかすら微妙なのです。仮に生産者が見つかったとしても、“ズッキーニ”と印刷された段ボールに入った形で納品されていたのはおかしな話。当時は農協(現・JA)を通さないと出荷用段ボールを入手できなかったはずで、農家から直接買い付けしたであろう智がなぜ、段ボール入りの形でフォンターナに納品できたのかが大いに謎ですね」(週刊誌記者)
本作では時代考証の甘さや、イタリア料理に関する知識不足が次々と露呈しているが、この調子だと食材の流通に関する考証もろくに行われていない恐れは高そうだ。
それに加えて、どうやら医事考証もろくに行われていないとの指摘も続出しているという。
「なにしろ両足を骨折したはずの二ツ橋シェフがわずか一カ月で職場に復帰。杖こそついているものの、特に痛がる様子もなく歩いていましたからね。骨折経験者なら分かることですが、両足をギプスで固定するほどの大怪我を負った場合、本来ならまだリハビリ期間中のはず。職場復帰まで最低でも2~3カ月はかかるものです。最初から一カ月で復帰の予定だったのであれば、せめて片足骨折で済ませておくべきでした。こんなトンデモ描写を視聴者が真に受けたら、両足骨折した部下に『一カ月で復帰できるんだろ!?』と問い詰めるパワハラ上司が続出しかねませんよ」(前出・週刊誌記者)
それとも朝ドラの撮影現場では、両足を骨折したスタッフが一カ月で復帰した例があるのだろうか? この「ちむどんどん」では偶然すぎる出会いや簡単に心変わりする出演者などご都合主義の脚本が批判を浴びているが、さすがに食材や医療に関する考証は、おろそかにしてはマズいのではないだろうか。