その複雑な人間関係に、視聴者も混乱していたようだ。
7月20日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第73回では、比嘉家の母親である優子(仲間由紀恵)が、父親・賢三(大森南朋)との馴れ初めなど、戦前から結婚に至るまでの過去について回想。そのなかで今回、初出しとなる人物の存在が語られたという。
昭和53年(1978年)のウークイ(旧盆の最終日)に、沖縄やんばる地方の実家に勢ぞろいした比嘉家。賢秀・良子・暢子・歌子の4きょうだいがそろうのは、賢秀と暢子が上京した昭和47年以来のこととなった。
子どもたちを前に、これまで口を閉ざしてきた過去について語り始めた優子。そのころ東京・銀座のイタリア料理店「アッラ・フォンターナ」では、ヒロイン暢子(黒島結菜)の大叔母にあたるオーナーの大城房子もまた、戦前戦後の思い出話を語っていたのである。
「優子と房子の話から、賢三の詳しい血縁関係が判明しました。房子の両親は沖縄生まれで、長女を親戚に預けて上京。横浜・鶴見で生まれたのが房子と妹の智子でした。一度も沖縄に行ったことのない房子は長女(姉)に会ったことがなく、その姉の息子が賢三だったのです」(テレビ誌ライター)
この告白に視聴者はビックリ。というのも6月9日放送の第44回では、鶴見で沖縄県人会の会長を務める平良三郎が、房子について「戦前に二親は亡くしてた。その妹がたった一人の家族だった」と語っていたからだ。
しかし三郎は房子と賢三が伯母と甥の関係であることを知っており、賢三の母親が房子の姉だったことも当然に知っていたはず。それなのに第44回で「妹がたった一人の家族」と語っていたことから、視聴者に無用な疑念を抱かせていたのである。
「その第44回では、智子(房子の妹)が賢三の母親だとしたら、年齢的に計算が合わないと視聴者が混乱していたもの。ここにきて『房子の姉』という新キャラが登場したことでその問題は解決したものの、それならば『たった一人の家族』というセリフは不要でした。よもや後から『房子の姉』という人物を追加したわけでもないでしょうが、なぜわざわざ視聴者を混乱させるようなマネをしたのか。制作陣の意図がまったく理解できません」(前出・テレビ誌ライター)
戦後、賢三は優子と結婚し、やんばるに居を構えることに。那覇出身の優子は家族全員が戦争で亡くなっていたが、賢三のほうは叔父の賢吉(石丸謙二郎)らがやんばるにいたこともあって、親戚筋を頼れたのだろう。
すると気になってくるのが、賢三の母親だ。本土で生まれた房子は姉に会ったことは一度もないと語っていたが、作中の昭和53年時点においてもまだ生きている可能性もあるのではないだろうか?
「結論から言うと、暢子らのおばぁにあたる『オトさん』はすでに亡くなっているようです。比嘉家に祀られている位牌(トートーメー)には賢三の両親の名前が書かれており、賢三が比嘉賢明・オト夫婦の子供であることが分かります。オトさんがいつ亡くなったのかは不明ですが、賢三が戦後、家族を探しに沖縄に戻っていたことから、賢三が出征した昭和19年よりも後に亡くなっていたものと思われます」(前出・テレビ誌ライター)
二人とも家族を失ったなかで結ばれた賢三と優子。今後は結婚後のエピソードが語られるのか、視聴者も大いに気になるところだろう。