えっ、なぜランドセル? そう思った視聴者も少なくなかったことだろう。
9月26日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第121回では、沖縄やんばる地方に移住したヒロインの青柳暢子(黒島結菜)が、地元野菜を使ったレストランの開業を思いつく姿が描かれた。
東京・杉並で沖縄料理店を営んでいた暢子は、昭和59年(1984年)のゴールデンウィークに故郷の山原村へと里帰り。そこで沖縄移住を思い立ち、2カ月後にはさっそく実行に移していた。そして今回、1年後の昭和60年5月を迎えていたが、ここで不自然な描写が見受けられたのである。
畑仕事に打ち込んでいる暢子は、母親・優子(仲間由紀恵)が働く共同売店で村のおばあたちと談笑。ウニの殻を埋めて肥料にするといった農家の知恵を教わっては、熱心にメモっていた。そこに長男の健彦(三田一颯)が友達二人と共に訪れ、おやつのサーターアンダギーをもらっていた。
「何気ない田舎の日常のようですが、明らかにおかしいのは健彦がランドセルを背負っていること。友達二人も同じように黒いランドセルを背負っており、はた目には小学1年生の同級生です。しかし健彦は本来、まだ年長さんの年齢であり、この時点でランドセルを背負っているのは計算が合わないことになります」(子育て中の女性誌ライター)
健彦は昭和55年1月生まれで、これは9月16日放送の第115回にて明示されていた。そのため第121回の昭和60年5月ではまだ5歳であり、翌年1月に6歳の誕生日を迎える年長さんにあたることは明らかだ。
ただ今回、健彦が小学生であることを明示的に示す場面はなく、あくまでランドセルを背負っているだけと考えることもできなくはない。ただ、友達たちも同じようにランドセル姿だったことは実に不可解。まさかやんばる地方には、未就学児もランドセルを背負う習慣があるとでもいうのだろうか。
「こういった不明瞭な場面が生まれる背景には、いとも簡単に月日が過ぎ去ってしまう脚本に原因がありそうです。とくに前回、暢子が沖縄移住を決心した後、あっという前に2カ月が経ち、送別会の場面が描かれたことに多くの視聴者が唖然としていました。義母の重子(鈴木保奈美)に移住を報告したり、料理人の矢作(井之脇海)に店を継いでくれるように頼むといったプロセスがすべて省略され、結果だけが描かれたことには視聴者から《過程を見せてくれ!》との声が殺到していたのです」(前出・女性誌ライター)
ランドセル問題の健彦にしても、4~5歳の多感な幼児がやんばるに馴染んでいく過程がまったく描かれず、気が付けば暢子を「ママ」ではなく「お母ちゃん」と、そして優子を「ばあば」ではなく「おばあ」と呼ぶようになったという結果だけが示されていた。
この調子では暢子が開業を決意したレストランにしても、あっという間に実家の庭に屋根が付き、台所にはコールドテーブルなど業務用の厨房機器が据え付けられているのかもしれない。
※トップ画像は宮沢氷魚公式インスタグラム(@miyazawahio)より。