【ちむどんどん】優子が圧巻の琉球舞踊を披露も「なぜ舞の意味を伝えない?」の疑問続出!

 これがウチナンチューの踊りというものか! 視聴者もその舞に驚いていたようだ。

 9月27日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第122回では、比嘉優子(仲間由紀恵)が戦争で亡くなった姉・時恵を想いながら琉球舞踊の「浜千鳥」を披露する姿が描かれた。その流麗な舞に視聴者が感動しつつも、疑問を呈する場面があったという。

 昭和60年(1985年)5月、故郷の沖縄やんばる地方に里帰り移住していたヒロイン青柳暢子(黒島結菜)のもとに、東京から大叔母の大城房子(原田美枝子)が訪ねてきた。房子は横浜・鶴見で沖縄県人会会長を務める平良三郎(片岡鶴太郎)からの依頼により、暢子の母親である優子に会いに来たのだった。

 その目的は、優子のことを探していた大里五郎(草刈正雄)なる人物を優子のもとに案内すること。戦後、沖縄から東京に移住した五郎は優子の亡き姉・時恵のことで、どうしても伝えたいことがあるという。

 娘の悦子(草刈麻有)を伴って比嘉家を訪れた五郎は、妻の遺品から見つかったという1本のジーファー(沖縄のかんざし)を差し出し、「あなたのお姉さんの最期を看取らせてもらいました」と説明。沖縄戦のさなか、ある小屋のなかで大怪我を負った時恵に出会い、優子への「見捨てたんじゃない。必死に捜したけど見つからなかった」との伝言を授かっていたのである。

「五郎は、死期を悟った時恵からおにぎりを分けてもらいながら、水が欲しいと懇願する時恵に自分の水を分けてあげなかったことを心底悔いていました。涙ながらに『ごめんなさい…。本当に申し訳ありませんでした…』と謝罪する五郎に、優子は生きているのか死んだのかさえも分からなかった時恵の最期を伝えてくれたと感謝し、『最期を看取ってくださりありがとうございます』と頭を下げていたのです」(テレビ誌ライター)

 最終回まであと3回という瀬戸際まで来て、沖縄戦の話題を盛り込んできた「ちむどんどん」。優子と五郎の会話に感動しつつも、なぜこのタイミングでといぶかる視聴者のなかには、「ヒロインがしゃべらないとこんなに良い話になるのか」と皮肉る向きも少なくなかったようだ。

 五郎から姉・時恵の最期を聞いた優子は、時恵の形見であるジーファーを頭につけて、沖縄舞踊を披露。三女の歌子(上白石萌歌)が歌う沖縄民謡の「浜千鳥節」にのせて、雑踊りの傑作とも呼ばれる「浜千鳥」(チジュヤー)を舞ったのであった。

歌子が三線を弾きながら歌う「浜千鳥節」の調べにのせて、優子は舞を披露していた。トップ画像ともに©NHK

 優子を演じる仲間は15歳で上京するまで、地元の沖縄で生まれ育ったウチナンチュー。そんな仲間だからこその「浜千鳥」は実に流麗で、物悲しげさもたたえており、視聴者を感動させていた。その一方でこんな声もあがっていたというのである。

「この『浜千鳥』は、離れてしまった故郷や親兄弟との別れなどを想って舞うもの。元は都を追われた首里の役人が、親を偲んで詠ったものとされています。ところが作中ではそういった由来がまったく示されず、歌子の歌唱も本編では歌詞すら表示されていませんでした。字幕機能をオンにすれば歌詞は見られましたが、その意味までは表示されず、多くの視聴者にはなぜ優子が『浜千鳥』を舞っているのかが伝わらなかったのです」(前出・テレビ誌ライター)

 優子が「浜千鳥」を舞った場面は、この回のハイライトと呼ぶべきシーン。本来ならテロップなり、ジョン・カビラのナレーションなりで歌と舞の意味を示すべきところではないだろうか。

 それとも制作陣は、仲間の舞と上白石の歌さえあれば、その真意が伝わるとでも思っていたのか。最終回の間際に来てやっと展開された感動エピソードも、制作陣による謎の演出が原因で、視聴者は不完全燃焼の気分を感じてしまっていたようだ。