【ちむどんどん】暢子はオーナーの帰京にすねていた?お見送りしない謎展開に視聴者困惑

 さすがにもう、バスは止まってくれなかったようだ。

 9月28日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第123回では、イタリア料理店「アッラ・フォンターナ」の大城房子オーナー(原田美枝子)が沖縄から帰京の途につく様子が描かれた。そこでヒロインの暢子(黒島結菜)が見せた態度に、視聴者が首をひねっていたという。

 房子は両親が上京してから生まれた沖縄2世で、亡き姉が眠る沖縄を訪れたことはなかった。かつてフォンターナで働いていた暢子とは「いつか沖縄に来る」という約束を交わしていたが、その約束は暢子が沖縄に里帰り移住した10カ月後の昭和60年5月に果たされることとなった。

 帰沖の翌日には東京に戻るという慌ただしさのなか、房子は自身の甥である比嘉賢三(大森南朋)の墓を訪れたのち、帰りのバスに乗ろうとしていた。房子には暢子の母・優子(仲間由紀恵)が同行。房子にとっては亡き甥の妻という近縁者だ。だがその場に、暢子の姿はなかったのである。

「暢子はなぜか、やんばるの自宅でゴウヤを刻んでいました。そこに戻ってきた妹の歌子(上白石萌歌)は『行かなくていいわけ? オーナーさんも帰るんでしょ?』と訊ねますが、暢子は返事することなくゴウヤを切り続けるだけ。その表情はどこか不満げで、房子が東京に帰ってしまうことに、子供のように拗ねているようにも見えました」(テレビ誌ライター)

 西山原のバス停で、名護行きのバスに乗る房子。優子と会釈を交わし、バスが出発したところで「オーナー!」と呼ぶ声が聞こえてきた。ギリギリのタイミングで暢子が走ってきて、房子が乗るバスを追いかけ始めたのである。

 その声に気づき、車窓から身を乗り出す房子。「オーナー、また来てくださいねえ!」と走りながら呼びかける暢子に、房子は笑顔で「うるさい!」と返しつつ、「分かった!」と再度の里帰りを快諾したのだった。

暢子の大叔母でもある房子。いつしか暢子のわがままも受け入れるようになっていた。トップ画像ともに©NHK

「この場面、おそらくは4月22日放送の第10回で描かれたシーンのセルフオマージュでしょう。その第10回では小5の暢子が東京の親戚にもらわれることとなり、名護行きのバスに乗り込むも、きょうだいたちが『行くなー!』と追いかけてくることに。思わず『止めてください!』と懇願してバスから降りた暢子は上京をやめ、沖縄に残る決心をしました。その時、暢子をもらいうけるはずだった親戚が、誰あろう房子だったのです」(前出・テレビ誌ライター)

 20年の時を経て、暢子は去り行く側から追いかける側へと立場を変え、そしてバスは止まることなく走り去っていった。時代の移り変わりを表す場面はまた、暢子と房子の関係性がより一段と深まったことも表していたのだろう。

 だがその場面に視聴者はむしろ、疑問を感じていたというのである。

「房子が帰る日になぜ、暢子は家に留まっていたのか。房子を見送ろうとしない理由がまったく分からなかったのです。普通に考えれば暢子は、帰京前に賢三の墓に立ち寄った房子に同行するはず。そうせずにムスッとした表情でゴウヤを刻み続けていた暢子に、視聴者からは《何か重要な場面が省かれたのか?》といった疑問も続出していました」(前出・テレビ誌ライター)

 そもそも料理人経験がゼロだった暢子が一流レストランのフォンターナで働けるようになったのは、暢子が賢三の娘という血縁関係あってこそ。房子が賢三の墓を参る際には、父親への感謝を込めて暢子も同行するのが筋というものだ。

 視聴者としても、暢子と房子が一緒に賢三の墓を訪れ、心を込めてお祈りするシーンを見たかったはず。そんな重要なシーンを描かずに、なぜか暢子が不満げな顔を見せるという謎場面を演出した制作陣にはどんな狙いがあったのか? よもや<暢子がバスを走って追いかける>シーンにこだわったのであれば、本末転倒だと指摘せざるをえないことだろう。