【ちむどんどん】優子の舞に視聴者感動も「あと3回で残り36年を描くの?」との疑問が続出!

 このエピソードは果たして「回収」だったのだろうか。視聴者も首をひねっていたことだろう。

 9月27日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第122回では、比嘉家の母親・優子(仲間由紀恵)が、戦争で亡くなった姉・時恵の思い出に涙する姿がハイライトとなっていた。

 優子の元を訪ねた大里五郎(草刈正雄)と名乗る男性は、1本のジーファー(沖縄のかんざし)を差し出し「あなたのお姉さんの最期を看取らせてもらいました」と説明。五郎は戦時中、米軍の機銃掃射を浴びて息も絶え絶えとなった時恵の最期を看取ったという。

 トキエの名前が彫られたジーファーを見て、すぐに姉の形見だと分かった優子。五郎の話に涙を流し、最期を看取ってくれたことに感謝した彼女は、姉への想いを胸に秘めながら、琉球舞踊の「浜千鳥」を舞い踊ったのだった。

 母親による心のこもった舞を見守る娘たち。三女の歌子(上白石萌歌)は三線を弾きながら「浜千鳥節」を歌い上げ、長女の良子(川口春奈)とヒロインで次女の暢子(黒島結菜)は母親の想いに涙を流していた。

「暢子が故郷の沖縄に里帰り移住を果たした終盤では、どうやら比嘉家の家族それぞれを交代で主役を務めていく様子。三女の歌子はついに結婚し、この日は母親の優子がメイン。おそらく長女の良子も残り3回の放送でフィーチャーされることでしょう。クランクアップを伝えるニュースでは暢子がセーラー服を着ていましたが、比嘉三姉妹が沖縄で一緒に暮らしていた昭和40年代当時の場面がラストシーンに使われるのかもしれません」(テレビ誌ライター)

 そんな展開に、視聴者からは疑問の声が続出しているという。というのもこの「ちむどんどん」は、沖縄の本土復帰50年を記念して作られたドラマのはず。昭和47年(1972年)の本土復帰と時を同じくして沖縄から上京したヒロイン暢子の成長に焦点を当てながら、復帰後の50年を丁寧に描いていく作品だったはずだ。

 ところが作中では昭和60年(1985年)になったばかりで、まだ平成にも入っていない。だが放送は残り3回に過ぎず、その3回で2022年までの36年間を描くというのだろうか。しかも暢子が発案した、自宅を改装した沖縄料理店の「やんばるちむどんどん」もまだ完成しておらず、その立ち上げや繁盛を描くにも通常なら数回分の放送を必要とするはずだが…。

「本作の制作陣は、ラストを決めたうえで逆算して物語を作ってきたと説明していました。その説明に従えば、彼らはラストからの30年超をわずか2~3回の放送で描いてしまえばいいと考えていたことになります。これはさすがに沖縄の近現代史をあまりにも軽視した態度と断罪せざるをえませんね」(前出・テレビ誌ライター)

本来なら昭和55年1月生まれの健彦が42歳の壮年を迎えている姿も描かれるべきなのだが…。宮沢氷魚公式インスタグラム(@miyazawahio)より。

 昭和28年度(1953年度)生まれの暢子は現在、69歳を迎える年齢だ。女性の平均寿命が87歳と全国でもトップクラスの沖縄では、おばあとしてまだまだ若手のほうだろう。それゆえ現代の沖縄において暢子が「やんばるちむどんどん」の店主として活躍していてもなんら不思議はない。

 果たして残り3回の放送で、60代後半になった暢子の姿は描かれるのか。それとも「沖縄復帰からの50年を描く」という本作のうたい文句は看板倒れだったのか。少なくても現時点では、「沖縄復帰からの十数年を描いた物語」にしかなっていないことは明らかだろう。

※トップ画像は©NHK