「#舞いあがれ反省会」があぶり出した、反省会批判のメディアにとって不都合な真実とは

 週が明けただけで視聴者の反応がこれほど変わるとは。これは決して「手のひら返し」ではなかったようだ。

 10月3日にスタートしたNHK連続テレビ小説「舞いあがれ!」が好評だ。第1週ではヒロインの岩倉舞(浅田芭路)が母親のめぐみ(永作博美)に連れられて、めぐみの実家がある長崎・五島列島に転居する様子が描かれた。

 物語はまだ始まったばかりだが、第1週の全5回を終わった段階で視聴者からは早くも<こんな朝ドラを観たかった><演技が上手すぎる!><安心して観ていられる>といった肯定的な反応が続出しているのである。

「なにしろ世紀の問題作と言われた前作の『ちむどんどん』が、まるで学芸会のような老けメイクで幕を閉じたのがつい先週のことでしたからね。実際のところ『ちむどんどん』も、子役の稲垣来泉がヒロインの比嘉暢子を演じていた第1週の時点ではさほど批判されていなかったので、なかには『舞いあがれ!』の第2週以降を心配する声もありますが、杞憂に終わることは確実でしょう」(テレビ誌ライター)

 前作の「ちむどんどん」と今期の「舞いあがれ!」では、大きく変わったことがある。それはドラマそのものというより、作品を受け止める視聴者の態度だ。

 その典型例がツイッター上の「反省会」タグ。これは作品への批判を主張したいツイッター民が、自分のツイートに付けるタグのことだ。前作の「#ちむどんどん反省会」では投稿数やいいねの数が爆発的に激増し、作品名だけを使った「#ちむどんどん」(いわゆる本タグ)をはるかに上回る隆盛ぶりを見せていたのである。

 反省会タグでは作中の様々な矛盾点や考証ミスなどが指摘され、脚本や演出の粗さが露呈することに。昭和30年代に「厚生労働省」があったり、銀座・鶴見・杉並をまるでどこでもドアを使ったかのように瞬間移動する様子など、たとえドラマであっても無視できない雑な描写を次々と顕在化させてきた。

「ネットニュースでも反省会タグが掘り出したネタを記事ネタにする一方で、なかには反省会タグに群がるツイッター民を問題視する論調の記事も少なくありませんでした。それらの記事では反省会タグでの指摘を『いちゃもん』『粗探し』などと批判し、悪意がこもっていると糾弾。なかには『ネットいじめ』だと断罪する例もあり、視聴マナーの悪さに苦言を呈するなど上から目線の記事も少なくなかったのです」(前出・テレビ誌ライター)

 そういった記事のなかには、「ちむどんどん」に文句を付けたいだけの悪質なツイッター民が反省会タグを生み出した、という事実誤認まで紛れていたものだ。だが実際には2016年ごろからツイッター上に広まっている視聴文化であり、評判の良かった前々作の「カムカムエヴリバディ」にも当然のように反省会タグは存在していた。

 しかし肯定の声が大きかった「カムカムエヴリバディ」では反省会タグの存在感が薄く、「反省会批判」の記者やライターは、当時から反省会タグが存在していたことを知らなかっただけだろう。これは反省会否定論者にとって、実に不都合な真実ではないだろうか。

 そして「舞いあがれ!」を巡る数々のツイートを見れば、「反省会批判」の記事自体がそもそも的外れだったと言わざるを得ないだろう。それは「#舞いあがれ反省会」の現状を見れば明らかだというのである。

「本作でも当然のごとく『#舞いあがれ反省会』のタグが存在しているものの、その投稿を見ると、作品への批判や誹謗中傷はほとんど見られません。なかには《めぐみを悪者にしないで!》といった声もありますが、それは作中で描かれているめぐみの苦悩に心を寄せているからこそ。むしろ作品の素晴らしさに感動し、『反省会タグなんか使っている自分を反省します』などと、自己反省の意味で使う例もあるほどです。この現状は反省会タグを根拠もなくネットいじめの道具だと断罪していた批判者にとって、実に不都合な真実に違いないでしょう」(前出・テレビ誌ライター)

それまで体温計を使っていためぐみが、別れの朝だけは額を合わせて検温していた。こんな場面に朝ドラファンは心を揺さぶられているのだ。トップ画像ともに©NHK

 現在のところ「#舞いあがれ反省会」への投稿では多数のいいねが付く例はほとんどなく、むしろ自省的な内容に対していいねが押されているといった状況だ。

 この現状は、的確な批判ツイートに数千ものいいねが付いていた「#ちむどんどん反省会」との明らかな対比となっている。この違いにこそ、朝ドラを愛するツイッター民の本音が表れているのではないだろうか。

「朝ドラに対する賞賛も批判も、ひとえに朝ドラを愛すればこそです。だからこそ直視できないレベルのミスや矛盾を見つけると指摘せずにはいられず、その際に使い勝手の良い道具が反省会タグだったというだけのこと。『反省会タグ批判記事』のなかには、朝ドラファンが自分たちの思い通りに作品の内容を誘導したいだけ、といった論調もありましたが、それこそ勘違いも甚だしいところ。反省会タグに集まる声は悪意のエコーチェンバーではなく、朝ドラを愛する人たちによる“集合知”だったと受け止めるべきです」(前出・テレビ誌ライター)

 視聴者の心に訴えかけることができれば、多少の矛盾など気にならなくなる。「#舞いあがれ反省会」に寄せられたこんなツイートこそ、朝ドラファンの気持ちを代弁しているのではないだろうか。