もはやこれくらいの「考証無視」なら視聴者も驚かなくなっているのかも?
8月15日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第91回では、沖縄料理店の開店を夢見る青柳暢子(黒島結菜)が、物件探しに苦労する様子が描かれた。
沖縄出身の暢子は前回、新聞記者の青柳和彦(宮沢氷魚)との披露宴を開催。苗字が比嘉から青柳へと変わった場で、沖縄料理店を開くとの夢をぶち上げていた。
暢子はまず物件の情報を集めまくり、下宿している横浜・鶴見の沖縄料理店「あまゆ」で親しい人たちに相談。東京での開店をもくろむことに、あまゆの娘・金城トミ(しるさ)が「うちの商売敵になっちゃうから?」と訊ねると、暢子は沖縄を知らないお客さんにも美味しいと喜んでもらえる店にしたいとの考えを明らかにしたのだった。
その意気やよしと言いたいところだが、前途が厳しいことは明らか。視聴者としても心配の募るところだが、それ以上に暢子の物件探しには見過ごせない箇所があったというのである。
「何が驚いたって、暢子の集めてきた物件情報がすべてパソコンで制作されたものだったことです。昭和54年(1979年)の時点では印刷された物件情報などごく一部のチラシ類に限定されており、基本的には手書きだったもの。それがパソコンに移行したのは昭和63年(1988年)にグラフィックソフトの『花子』が発売されてからでした。どうやら『ちむどんどん』の世界線は、現実を10年も先取りしているようです」(IT系ライター)
いまや「花子」といっても30代以下の視聴者にはピンと来ないかもしれないが、かつては大小を問わず多くの企業で図面の作成に大活躍していたパソコンソフトだ。昭和の末期には「花子」とワープロソフト「一太郎」の組み合わせで、多くのビジネス文書が作成されていたのである。
だが「花子」の発売は前述の通り昭和63年で、「一太郎」も前身の「JS-WORD」が昭和58年(1983年)にリリースされていた。同年には一世を風靡したワープロソフトの「松」も発売されていたが、それ以前には一般企業でパソコンを使うことなどありえなかったのである。
「しかし本作の制作陣には、ちゃんとしたフォントで印刷された物件情報しか頭に浮かばなかったのでしょう。印刷と手書きが混在していればまだリアリティがあったかもしれませんが、すべての物件情報が印刷されたものとなると、いつの時代を描いているのかと視聴者もいぶかっていたはずです」(テレビ誌ライター)
昭和54年であれば、50代の制作スタッフなら当時の世相を記憶しているはず。実際、作中に登場する公衆電話などは当時の機種を再現している。しかし物件情報までは頭が回らなかったということか。どうやら今回に関しては考証ミスどころか、ハナから考証すらしていなかったのかもしれない。