【カムカムエヴリバディ】五十嵐がオーディションで武藤蘭丸に負けたのは、モモケンの意思だった!?

 こんな細かいところまでしっかりと作りこんでいるとは、視聴者も感心することしきりだったことだろう。

 3月7日放送のNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」第88話では、ヒロイン・大月ひなた(川栄李奈)の恋人である五十嵐文四郎(本郷奏多)が、ライバルに大きな差をつけられてしまった姿が映し出されていた。

 ひなたが条映太秦映画村に就職した昭和59年に、映画「妖術七変化!隠れ里の決闘」の敵役である小野寺左近役のオーディションが開催され、五十嵐は最終選考の50名に残っていた。オーディションには20年前のオリジナル作で左近役を演じた伴虚無蔵(松重豊)もエントリー。最終選考会では五十嵐とのペアで、立回りを演じたのである。

 審査員は、父親の遺作を自らの主演でリメイクしようとしている“モモケン”こと二代目桃山剣之介(尾上菊之助)。そのモモケンはオーディションにて虚無蔵に対し、「虚無さん、あんたじゃダメなんだ」と直接に不合格を言い渡していた。

「一方で、虚無蔵とペアを組んだ五十嵐に対してはモモケンが言葉を掛ける場面はなく、オーディション後に別の役者が合格したとの結果を知るのみでした。同じく審査員を務めていた映画監督の轟強(土平ドンペイ)は、立回りは悪くなかったと評しつつも『あれは虚無さんに引っ張られて、実力以上が出せただけや』とバッサリ。あくまで実力不足が落選の原因だと伝えていたのです」(テレビ誌ライター)

 もちろん最終選考に50人も残っていれば、そこで勝ち抜くのは容易なことではない。ただ、最終的に五十嵐が落選したのはやはり、主演のモモケンが明確に示した意思の結果だったというのである。

 そこから8年後となる平成4年(1992年)のシーンでは、五十嵐が手にしたスポーツ新聞に、同オーディションで左近役を射止めていた武藤蘭丸(青木崇高)が年末大型時代劇の主演に決定したとの見出しが。オーディション当時は同じように無名の俳優だった武藤に、大きな差をつけられた現実を否応なしに突きつけられた瞬間だった。

オーディションで左近役を射止め、映画のポスターにも登場していた武藤蘭丸。トップ画像ともにドラマ「カムカムエヴリバディ」公式ツイッター(@asadora_bk_nhk)より。

 その武藤に関する記事に、モモケンによる貴重な証言が掲載されていたという。

「わずか3秒ほどしか映らなかった紙面には、武藤の主役抜てきに関する記事がびっしり。そこには《武藤は当時ほぼ無名の役者であり、まして大きな役を与えられてきた実力者ではなかった》と、武藤の来歴が書かれていました。そして武藤がオーディションを受けたとの説明があり、《彼を起用したのは他でもない主役の二代目桃山剣之介であったというのは有名な話である》と、モモケン自身が武藤を相手役に選んだことが明記されていたのです」(前出・テレビ誌ライター)

 その記事には、モモケンが映画「妖術七変化!隠れ里の決闘」をリメイクすることにより、父親の初代桃山剣之介を越えようと考えていたとの証言も掲載。さらに、こんな言葉も紹介されていたのである。

<左近という好敵手も前作を越える『何か』を持っている人物でありたいと思っていた時に武藤くんの立回りを拝見し、左近に出会えたと思えたんです>

 つまり、モモケンは自ら武藤の立回りに惚れこみ、左近役に選んだのだった。それはすなわち、五十嵐の負けをモモケン自身が決めたということでもある。

 オーディションに落選した当時、五十嵐は「あの受かったヤツだってまだまだ無名だろ、バカ!」とひなたに八つ当たりしていた。しかしオーディションに受かる理由は無名かどうかかではなく、立回りで何を見せることができたかに懸かっていたのは明らか。それに気づかない限り、五十嵐が大部屋俳優を脱するのはまだまだ先のことなのかもしれない。