【カムカムエヴリバディ】るいの元に帰ってきた安子は、錠一郎にとっても「おかあさん」だった

 生き別れになった母親に再会できた妻のるいと同様に、錠一郎もまた、自分が失っていたものを取り戻したのではないだろうか。

 4月7日放送のNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」第111話では、アニー・ヒラカワを名乗っていた安子(森山良子)が、娘のるい(深津絵里)と再会を果たすこととなった。

 昭和26年にるいを日本に置いたまま、進駐軍将校と共にアメリカに渡っていた安子。日本には便りのひとつも寄越すことなく、現地で大学も卒業した安子はいつしか、ハリウッドのキャスティングディレクターとして日本に戻っていた。

 そして数々の偶然を通してるいの家族と巡り合い、ついに2003年のクリスマスコンサートにてるいと再会した安子。かつては自分のことを裏切ったとの勘違いから「大嫌い」(I hate you.)と母親を突き放していたるいも、52年の時を経て誤解やわだかまりを解消し、母娘の再会を喜んでいるのであった。

 そんな安子とるいの元に歩み寄った錠一郎(オダギリジョー)は、「いっつも特別になるなあ…このステージのクリスマスライブは」と語り、岡山偕行社のクリスマスステージでルイ・アームストロングの楽曲「On the Sunny Side of the Street」に出会ったと回顧。すると安子は「昭和23年のクリスマスですか? 定一さんがサニーサイドを歌うた」と振り返り、同じ時に同じ場所ですでに錠一郎と出会っていた偶然に驚いていたのである。

「そんな会話の冒頭で錠一郎は、安子に対して『初めまして 錠一郎と言います』と自己紹介。次いで『あの…お義母さん。るいを産んでくださってありがとうございます』との礼を述べていました。娘のひなたからは泣かせるようなことを言わないよう注意されるも、『いつか言いたいなと思てたんや』との想いを口にする錠一郎。そんな彼の言葉には、自分自身の人生をも取り戻した実感が詰まっていたのではないでしょうか」(女性誌ライター)

 錠一郎から見れば、るいの母親である安子が「お義母さん」であるのは確かであり、そう呼びかけたのも当然だろう。安子を探しにアメリカにまで足を運んだるいの姿を見て、再会できた暁には礼を言おうと考えていたのもまた、当然のことかも知れない。

 その一方で錠一郎にとっても、義母の安子を探す作業は、大きな意味を持っていたに違いないというのである。

「戦災孤児だった錠一郎はジャズ喫茶マスターの柳沢定一(世良公則)に拾われ、やがてトランぺッターとしてジャズの道に進むことができました。そんな彼にとって定一は父親も同然の存在です。ただ彼は孤児ゆえに、母親の愛というものを知らずに育ちました。だからこそ生き別れた母親を探し求めるるいの行動は彼にとって、顔も知らぬ母親を探すのと同じことだったのではないでしょうか。るいが母親と再会できたのと同様に、錠一郎も63歳にしてようやく『おかあさん』と呼べる人に出会えたのです」(前出・女性誌ライター)

クリスマスコンサートの舞台袖から、ステージで歌う定一を観ていた錠一郎。この時はまだ8歳の子どもだった。トップ画像ともに©NHK

 しかも安子は、父親代わりだった定一のことを知る人物でもあった。そんな安子をおいて、錠一郎の「おかあさん」となりえる人物がほかにいるだろうか。

 これまでの人生で錠一郎は、ジャズを再開するまでは自分がかつてトランぺッターだったことを子どもたちには黙っていた。そうやって封印していた辛い過去。おそらくは戦災孤児だったころの思い出はいまもなお、子どもたちに明かしていないことだろう。

かつて安子(演・上白石萌音)は、定一が経営するジャズ喫茶の常連客だった。©NHK

 それがいま「おかあさん」に出会えたことで、るいが安子との誤解やわだかまりを解消できたように、錠一郎もまた、自身の育ってきた環境に向き合うことができたのかもしれない。