【ちむどんどん】ヒロイン暢子「うち東京に行きたい」、決意の涙に視聴者も号泣!

 その言葉には本心と決意がないまぜになっていたようだ。

 4月21日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第9回では、多額の借金を抱えた比嘉家から、4人きょうだいのうち誰が東京に行くのかを家族会議する場面が描かれた。

 父親の賢三(大森南朋)が亡くなり、母親の優子(仲間由紀恵)は借金500ドルを抱えながら、女手一つで小中学生の子供たちを育てることに。借金の保証人となっている叔父の賢吉(石丸謙二郎)は、どうやって返済するつもりかと日々、優子のことを責めたてていた。

 そんなある日、東京にいる賢三の叔母から優子のもとに手紙が届く。その内容は、子供を一人引き取って面倒を見てもいいというもの。親の代に本土に移住したという叔母は、賢吉によると「気難しくて金の亡者」とのことだが、当の賢吉はぜひその申し出を受けるべきだと優子に強く迫っていた。

「きょうだいの誰かが東京に行くかもしれないと知った子供たちは、東京から山原村に来ている中三の青柳和彦(田中奏生)を質問攻めに。長女の良子(土屋希乃)はファッション誌を手に『こういう人、東京にはたくさんいる?』と訊ね、三女の歌子(布施愛織)は『歌手に会ったことある?』とまだ見ぬ東京に興味津々。そして長男の賢秀(浅川大治)は『俺が聞きたいのは東京のマンガ本のことさ!』と目を輝かせていました。一方で食べることの大好きなヒロインで次女の暢子(稲垣来泉)は和彦の自宅にて、東京にはどんな食べ物があるのかを尋ねていたのです」(テレビ誌ライター)

 自分が東京に行くとそれぞれが言い張る比嘉家のきょうだいたち。しかし4人が抱く東京への想いは、子供らしい憧れに過ぎなかったのである。

 ある日、工事現場の仕事で疲れ切った優子を待っていたのは叔父夫婦と、共同売店の責任者を務める前田善一(山路和弘)。地域の役員でもある善一は、和彦の父親で大学教授の青柳史彦(戸次重幸)に、東京に戻る際には比嘉家の子供を一緒に連れて行ってほしいと頼んでいたのであった。

 物語の舞台である昭和39年(1964年)当時、米国統治下の沖縄から日本本土に向かうには「日本渡航証明書」(俗にパスポートと呼ばれていた)が必要だった。その発給には時間が掛かることから、この日のうちに叔母のところに預ける子供を決めるように迫る賢吉。賢秀から順番に東京行きの意思を尋ねていくも、本心では行きたくない子供たちは、なにかと理由を付けて家に残ることをアピールだ。

「すると突然『うちが行く。うち、東京に行きたい!』と立ち上がった暢子。叔父夫婦が目を丸くして驚いたのは、まさか暢子が自分から言い出すとは思っていなかったのでしょう。憧れの東京に行けると笑顔交じり暢子でしたが、その笑顔はやがて作り笑いへと変化。目にはうっすらと涙が浮かんでいたのでした」(前出・テレビ誌ライター)

 母親を楽にさせてあげたいという暢子の決心、そして本当は家族から離れたくないという思い。そんな複雑な感情を涙ながらの作り笑いに込めた場面には視聴者から<いい演技だなあ>と、子役の稲垣に感心する声があがっていた。そして<つられて泣いた>と暢子の想いに寄り添う声も続出。多くの視聴者がこの場面に号泣していたようだ。

和彦に宛てた「東京に行きたい」という手紙を自ら回収し、複雑な表情を見せる暢子。トップ画像ともに©NHK

 そんな暢子の心を支えているのは東京への憧れ、そして大好きなやんばるや家族との<思い出>だという。とある日の学校で暢子は、和彦の父親で東京から研究旅行に来ている大学教授・青柳によるスピーチを聴いていた。そこで彼が説いたのは<思い出>の大切さだった。

 青柳は「辛いことや悲しいことがあった時、間違った道に進みそうになった時に、子供のころにこの村の山や海で過ごした思い出、美味しいものを食べた思い出、家族や友達と笑いあった思い出が、きっとみんなを正しい道に導いてくれます」と熱弁していた。

「青柳は最後、『大好きな人と離れ離れになった時も(思い出が)心と心を繋いでくれます』と締めくくっていました。その言葉に、何かを感じた表情を見せていた暢子。彼女の心にはきっと、母親やきょうだいたちと離れ離れになる日の光景が思い浮かんでいたのでしょう」(前出・テレビ誌ライター)

 このスピーチで青柳は「思い出なんてお金にならない」と前置きしていた。だが暢子が東京行きを決心すれば、比嘉家にのしかかる借金が少しだけでも軽くなることは確実だ。

 本当は東京に行きたくないものの「これ以上お母ちゃんに難儀させたくない」とつぶやいていた暢子の想いは通じるのか。視聴者も手に汗を握りながら、今後の展開を待っていることだろう。