多くの視聴者が疑問に思っている問題に、果たして制作側は答えてくれるのだろうか。
5月2日放送の第16回から第4週「青春ナポリタン」に突入したNHK連続テレビ小説の「ちむどんどん」。ヒロインで高三の比嘉暢子(黒島結菜)は眞境名商事の内定を自ら蹴り、引き続き就職活動に勤しんでいる状況だ。
その比嘉家では長男の賢秀(竜星涼)が仕事もせずにブラブラしており、長女の良子(川口春奈)は短大を出て小学校の教員に就職。そして三女の歌子(上白石萌歌)は暢子と同じ山原高校に進学していた。
決して裕福ではないながらも、中退した賢秀も含めて4きょうだい全員が高校に進学した比嘉家。だが7年前に父親の賢三(大森南朋)が亡くなり、一家には500ドルの借金が遺されていたはずだ。母親の優子(仲間由紀恵)が工事現場で身を粉にして働いて、日給はやっと1ドル。大雑把に換算すれば現在の金銭感覚で500万円にもなりそうな借金を抱え、働き手が優子一人しかいないなか、比嘉家はどうやって生活してきたのだろうか。
「令和の現代ならともかく昭和39年~46年の沖縄に、中高生のバイトなどほとんどなかったはず。インフラすらまともに整備されていなかった沖縄北部のやんばる地区ではなおさらです。一方で当時は世界的に高金利な時代で、比嘉家の借金も利子負担は相当キツかったことでしょう。銀行から借りていたので法外な金利ではなかったにせよ、年利12%なら月利1%となり、利子だけでも毎月5ドルを返済する必要がありました」(沖縄マニアのライター)
比嘉家の稼ぎでは借金返済など、気の遠くなるような未来のことにも思える。だが当時の金融情勢を考えると、実は意外にも短期間で借金を返済できていた可能性があるというのだ。
「比嘉家の子供たちがまだ小中学生だった1960年代後半は、世界的にインフレが進行。沖縄を統治するアメリカも例外ではありませんでした。そのインフレ下では賃金や物価が上がる一方で、借金は相対的に小さくなります。物価と賃金が2倍になれば、単純計算ですが借金は半分になったも同然なのです。そしてこの時期、沖縄では実際に物価が1.5~2倍に上昇していたのでした」(前出・ライター)
沖縄県が公開している「小売物価価格一覧表」をもとに、昭和39年と昭和46年の物価を比較してみよう。すると豆腐は一丁3セントから7セントに、ポーク缶は20セントから30セントに、泡盛は17セントから35セントへと値上げ。概ね1.5~2倍のレンジに収まっていることが分かる。また日本からの輸入品扱いだったキャラメル(森永)は4セントから10セントへと、2.5倍もの値上がりとなっていたのである。
また賃金に関しては昭和45年(1970年)時点で琉球政府の労働基準法により、最低時給は23セントと定められていた。8時間労働で1.84ドルとなることから、昭和39年時点で優子が日当1ドルをもらっていたころから、やはり2倍程度の賃金上昇となっていた計算となる。
「4月27日放送の第13回では、新任教師の良子が70ドルの給料を現金で支給される場面がありました。彼女がその半分を家に入れ、借金返済に費やせるなら、500ドルの借金を2年もしないうちに完済できる計算です。もちろん良子はその年から給料をもらい始めたばかりですが、もはや比嘉家が借金に押しつぶされない程度の家計になっていたことは間違いないのではないでしょうか」(前出・ライター)
なにより母親の優子が村の共同売店で働けることになり、工事現場での肉体労働から解放されたことが、なによりも好材料だったのかもしれない。