【ちむどんどん】賢秀の大負けシーンに「昭和47年をなめている!」と批判の声!

 このシーン、おかしくない? またもや視聴者からそんな不満の声があがっていたようだ。

 5月20日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第30回では、ドラ息子の比嘉賢秀(竜星涼)が、なけなしの金を競馬ですってしまう様子が描かれた。

 比嘉家の長男である賢秀は子供のころから努力が嫌いで、楽して儲けることばかりを考えてきた。そのため昭和46年(1971年)には投資詐欺に引っかかり、960ドルもの大金をだまし取られていたものだ。

 その後、家族に黙って東京に出た賢秀は一攫千金を狙ってプロボクサーとなり、デビュー戦でアマチュアの強豪選手を破る大金星。実家に60万円を送金していたが、その金はジムの会長らに借りまくったものであり、返済することなくジムから逃げ出していたのであった。

「賢秀を頼りに上京したヒロインの比嘉暢子(黒島結菜)は、賢秀が行方知れずになったことを知って途方に暮れることに。それでも持ち前の明るさと元気さを武器に、横浜・鶴見で沖縄県人会の会長を務める平良三郎(片岡鶴太郎)の知己を得て、銀座のイタリア料理店で採用試験にも合格しました。そんな暢子が住むことになった沖縄料理店に、すっからかんとなった賢秀が飛び込んできたのです」(テレビ誌ライター)

 文字通り「まさかやー」な再会を果たした兄妹。最初は「ぽってかす!」と激おこぷんぷん丸だった暢子だが、やはり家族と過ごす時間は落ち着くらしい。前夜は三郎の家に泊めてもらうも寂しさで寝られなかったそうだが、この日は「ニーニーが来てくれたから」と笑顔で布団に入ったのだった。

 しかしそんな安心もつかの間。賢秀は「金は部にして返す!」(※部は倍の誤り)との書き置きを残していなくなり、暢子の財布は10円玉1枚を残して空に。なんと賢秀は暢子のなけなしのお金を持ち逃げし、競馬での勝負に賭けたのであった。

賢秀が残した書き置きに呆然とする暢子。トップ画像ともに©NHK

 レース実況を聴きながら、馬券を握りしめる賢秀。しかし案の定、馬券は外れてしまい、「うわぁ~!」と絶叫しては絶望の表情を浮かべていた。そのシーンに視聴者の一部から「ありえん!」との声があがっていたのである。

「賢秀がいた馬券売り場は窓枠や柱に木材がむき出しになった古くさい建物。レースを映すテレビもなく、おそらく昭和47年の馬券売り場を再現しているのでしょう。しかし50年前とはいえ当時はすでに高度成長期も終わっており、こんなボロい建物だったはずがないのです。中央競馬のウインズ横浜は昭和41年に現在の場所に移転していましたし、地方競馬の川崎競馬場は昭和25年にはすでに建物が完成しており、こんな木造の馬券売り場など存在しません。そもそも馬券売り場にしては狭すぎますし、昭和47年を戦前と同様の大昔に捉えているのではないかと、制作陣の姿勢に呆れてしまいますね」(昭和40年代を知るライター)

 この馬券売り場は、昭和27年に建てられた横山市中区の国営競馬横浜馬券発売所を参考にしていた可能性もありそうだ。だが同発売所は昭和41年、ウインズ横浜のオープンと共に閉鎖されていた。

 その一方で、暢子が住むことになった部屋もいかにも古臭いが、当時は戦後間もないころに建てられた家屋がまだ珍しくなく、木製の窓枠も普通だった。どうやらその感覚で馬券売り場のセットも建ててしまったのかもしれない。