【ちむどんどん】宅配ピザにビジネス電話機…「時代考証が甘い!」の批判が出るワケとは

 暢子が「おいしい~!」と飛び跳ねていた宅配ピザなんて、この時代にあったっけ? そんなツッコミが続出しているようだ。

 6月1日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第38回では、ヒロインの比嘉暢子(黒島結菜)がボーヤ(雑用係)として働いている東洋新聞社にて、若手記者の青柳和彦(宮沢氷魚)が取材に奮闘する姿が描かれた。

 青柳は東洋新聞きっての人気企画「我が生涯最後の晩餐」を書かせてほしいと学芸部デスクの田良島甚内(山中崇)に直訴し、三ツ星シェフのアレッサンドロ・タルデッリ(パンツェッタ・ジローラモ)に取材できることになった。

 アレッサンドロはイタリア北部・ミラノの出身。だが青柳が<人生の最後に食べたい思い出の料理>について訊ねたところ、南部ナポリ発祥のピッツァ・マルゲリータを挙げていた。その答えが終盤で物議をかもすのだが、視聴者が疑問に感じたのは学芸部の部員たちが後日、部内でピザを食べるシーンだったという。

「青柳の同僚で恋人の大野愛(飯豊まりえ)は『これがピザ・マルゲリータです!』と言いながら、紙箱に入ったピザを広げました。そのピザに暢子は『でーじ、ちむどんどんする♪』と飛び跳ねていましたが、視聴者からは《この時代に宅配ピザなんてあるわけない》《紙箱もなかったんじゃないか?》と、時代考証のミスを疑う声が続出していたのです」(テレビ誌ライター)

アレッサンドロがピザをあげたことをきっかけに視聴者も紛糾することに。トップ画像ともに©NHK

 作中の時代は昭和48年(1973年)10月で、自宅用の冷凍ピザが発売されたのは翌年のこと。まだほとんどの日本人がピザを食べたことすらなかった時代であり、視聴者がそう疑うのも無理はないだろう。

 だが日本国内におけるピザの歴史を紐解いてみると、この描写はあながちウソではないというのだ。

「東京都内では昭和30年代にはすでにピザを扱うレストランが何軒もオープンしていましたし、今も続くピザレストランチェーンのシェーキーズは昭和48年に第1号店が開店しています。当時からピザのテイクアウトは普通のことで、容器は紙箱でしたね。たしかに宅配ピザの文化はまだなかったものの、作中に“宅配”を示す要素はひとつも出てきません。それゆえこの場面では愛がどこかのレストランからピザをテイクアウトしてきたと考えて差しつかえないでしょう」(昭和40年代を知るベテランライター)

 どうやらピザの時代考証問題はクリアできたようだが、今回はほかにも視聴者が首をひねる点があった。それは沖縄にいる妹の歌子(上白石萌歌)が、暢子に電話を掛けてきたシーンのことだ。

 暢子は学芸部にて白いビジネス電話機を手に、机の陰に隠れるようにしながら歌子と電話していた。その姿に、昭和48年にはそんなビジネス電話などなかったと訝る視聴者が続出。いわゆる黒電話しかなかったはずで、これまた安易な時代考証ミスとの指摘が相次いでいたのである。

電話機を抱える暢子。この場面だけだとたしかに昭和48年には見え難いが…。©NHK

「たしかに家庭用には電電公社から貸与される電話機しかなかったのは事実です。すでにプッシュホンは存在していましたが、その形状は黒電話とほぼ同一でした。ただ法人用には現在のオフィス用電話機と似た形状の『ホームテレホンF』という機種などが既に存在しており、作中ではおそらくそれを想定していたのでしょう。ちなみにモジュラージャックはまだ存在していませんが、作中に登場した電話機では電話線が本体に直結していたので、その点でも昭和48年の電話機事情を再現していたことになります」(IT系ライター)

 このように、当時の世相をちゃんと再現していた今回の「ちむどんどん」。制作側の配慮がうかがえる場面となっていたが、本作では偶然に偶然が重なるご都合主義の展開が続出していることから、視聴者のほうにも<まずは疑ってかかる>姿勢が定着してしまっているようだ。