いやいや、4年前と言ってること違うんじゃない? 多くの視聴者がそう驚いていたことだろう。
7月7日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第64回では、比嘉家の三女・歌子(上白石萌歌)が、民謡歌手になりたいとの夢を口にする姿が描かれた。ここで歌子が語った言葉に、視聴者からのツッコミが寄せられたという。
身体が弱くすぐ熱を出してしまうため、勤務していた運送会社も辞め、家事手伝いとなっていた歌子。普段は家族の食事を作りながら、小学校教員として働く長女・良子(川口春奈)の娘・晴海を可愛がる毎日だ。
するとある日、見知らぬ男性がいきなり「比嘉賢三のうちか?」と訪ねてきた。その上原照賢(大工哲弘)という人物はどうやら、10年以上前に亡くなった父親・賢三(大森南朋)のことを知っている様子だ。
賢三の遺影に手を合わせた照賢は、「賢三が民謡歌手になろうとしてたころ、歌を教えた」と、父親の過去について明かすことに。実のところ比嘉家の子供たちは賢三の若かりしころについてほとんど知らなかったため、歌子はたいそう驚いていたのである。
「ここで照賢は三線を取り出し『月ぬ美しゃ』という沖縄民謡を歌い出しました。その歌声に歌子は、賢三が死の間際に『歌子、幸せになれよ』との言葉を残したことを思い出すことに。また高校での音楽教師・下地響子(片桐はいり)から言われた言葉も思い出し、涙を流していたのです」(テレビ誌ライター)
下地は歌子に「あなたは歌い続ける、聴く人がたった一人でも。どんな歌でもいい。あなたがその時歌いたい歌でいい」と伝えていた。彼女は歌子が秘める歌の才能に気づいていたのだ。
その思い出が歌子の心を揺り動かした。東京のイタリア料理店で料理人として働く次女の暢子(黒島結菜)や、教員になる夢を叶えた良子の背中ばかりを見ていた彼女が今、民謡歌手になるという夢を抱いたのである。
民謡歌手なら沖縄から出る必要もなく、身体の弱い歌子にも務まりそうだ。照賢からはバスで行ける距離にある名護の三線教室を教えてもらったそうで、歌子は母の優子(仲間由紀恵)に向かって「何年かかってもいいから、うちは民謡歌手になりたい」との意思を伝えた。その意気やよし、と言いたいところだが、このあとの会話にツッコミポイントが隠れていたのである。
「歌子は思いつめた表情で『小さくてもいいから、うちだけの夢を追いかけてみたい』と母親に訴え、『こんな気持ち初めてだのに。やってみたいわけ、歌いたいわけ!』と、頭を下げました。その必死さは視聴者の心を打ちましたが、一方で《こんな気持ち初めて、というのはおかしいだろう》とのツッコミもまた、続出していたのです」(前出・テレビ誌ライター)
というのも歌子は6月2日放送の第39回にて、東京のレコード会社が主催した新人発掘オーディションに挑んでいたのだ。高三だった彼女は運送会社へ内定も決まっていたが、引っ込み思案の性格を打ち破ってオーディションに応募。見事、一次審査を突破していたのである。
当時の彼女は「歌手になる」という大きな夢を抱いていたはず。実際、最終審査中に体調不良で倒れてしまった時には、自宅に戻ってから「もう嫌! また肝心な時に、なんでいっつもこんななるわけ!?」と慟哭していたほどだ。これほど自分の境遇を嘆いていた歌子がよもや、心を奮い立たせてオーディションを受けた過去を忘れ、“初めての気持ち”で民謡歌手になろうと思ったとでも言うのだろうか? これはもはや「歴史改ざん」レベルの展開だと視聴者が驚くのも当然だろう。
「端的に言ってこれは、脚本のミスでしょうね。そもそもこの『ちむどんどん』では回が進むにつれ、話の整合性が取れなくなる場面が珍しくありません。比嘉家三姉妹のなかで最も出番の少ない歌子ゆえ、オーディション挑戦という彼女の人生にとって最大級のイベントさえ、一カ月経ったら制作陣は忘れ去っていたのかもしれませんね。まあ、それも『ちむどんどんらしさ』なのかもしれませんが…」(前出・テレビ誌ライター)
ともあれ多くの視聴者は、歌子にこそ幸せになってほしいと願っているはず。ここはぜひ民謡歌手になるという夢を叶えてほしいものだ。