【ちむどんどん】やんばるに帰りたい暢子と和彦…お互いの心配はしても息子のことは無視!

 どうやらこの物語、子供に対してはとことん冷たいようだ。

 9月20日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」117回では、沖縄のやんばる地方に里帰りしたヒロインの青柳暢子と夫の和彦が、やんばるに残りたい気持ちをそれぞれ吐露。それらの場面で一人息子の健彦がないがしろにされていたという。

 12年前に上京し、イタリア料理店での修行を経て、東京・杉並に沖縄料理店の「ちむどんどん」を開店した暢子(黒島結菜)。昭和59年(1984年)の連休に和彦(宮沢氷魚)と息子の健彦(三田一颯)を連れて久しぶりの里帰りを果たしていた。

 実家では母親の畑を手伝い、すっかり田舎暮らしをエンジョイしている様子。地元の小学校で教員を務める姉の良子(川口春奈)と一緒に料理をしながら、「やんばるの野菜が美味しいって初めて身に沁みて感じるわけよ」という暢子は、どんなにぜいたくで珍しい食材であっても、地元の野菜にはかなわないと語っていた。

 やんばるで畑をやって暮らしたいという暢子に、良子は「だったらもう、やんぱるに帰ってきたら?」と訊ねる。すると暢子は、そんなに簡単にはいかないと前置きしつつ、「東京のお店のこと、和彦くんの仕事のことも…」と語り、複雑な表情を見せたのだった。

 一方で和彦は、良子の夫で教員の石川博夫(山田裕貴)と歓談しながら、「僕もいつかはこの島に住んで、夢を実現できたら」との想いを口に。その夢とは沖縄研究に勤しんでいた亡き父親の遺したノートの続きを書いて、本を出すことだという。

 しかしいつ沖縄に移住できるか分からないとつぶやく和彦に、博夫は「夢が叶わんその理由は?」と質問。すると和彦は、フリーライターという自分の仕事は「依頼を受け、原稿を書いて送ればいいからどこに住んでいてもできるけど」と説明しつつ、やんばるに暮らすとなると「暢子はせっかく出した店を手放すことになってしまうし…」と説明していたのだった。

「暢子と和彦は、苦労して開店した沖縄料理店が、いつしか自分たちの足かせになっていることに悩んでいました。ただ視聴者として大いに気がかりだったのは、二人とも一人息子の健彦について何も気にしていないこと。東京生まれの健彦がやんばるに移住することの苦労に考えを巡らせていなかったのです」(テレビ誌ライター)

 健彦は昭和55年1月生まれで、作中では4歳の年中組にあたる。まだ小学校入学前であり、東京からやんばるに移住してもさほどの不便さは感じないのかもしれない。

 親戚も東京には和彦の母親・重子(鈴木保奈美)くらいしかおらず、それならやんばるのほうが姉の良子に加えて、母親の優子(仲間由紀恵)や妹の歌子(上白石萌歌)も頼れるということなのだろう。

「とは言え暢子と和彦の二人とも、息子の健彦について一言も触れないのはさすがに異様です。つい先週には健彦の出産であれほど話が盛り上がっていたのに、週が明けたら親の従属物程度にしか描かれないのですから、子を持つ親としては納得しがたいところ。せめて《健彦の年齢ならやんばるに移住しても平気》くらいのことは言ってもよさそうなものですが…」(子育て中の女性誌ライター)

息子の健彦はやんばるに馴染んでいるものとして描かれていた。トップ画像ともに©NHK

 本作で子供に関する描写が薄いことは、すでに視聴者もよく知る通りだ。良子と博夫には一人娘の晴海がいるものの、いつも両親の都合に振り回されてばかり。たまに出てきたかと思えば寝ているシーンばかりで、放っておいても子供は育つという意味かと視聴者を憤らせている。

 健彦に関しても暢子と和彦は、東京にはのびのびと遊べるところが少ないとアピール。今回も「健彦はくたくたになるまで遊んで」と和彦が語る場面があり、やんばるは子供にとって天国だと言いたいようだ。

「東京は子育てには向いていないというステレオタイプの押し付けには辟易しますね。本作は沖縄の良さをアピールする作品ですが、そのために東京を貶めるのは筋違いというものでしょう。そんな脚本の安易さには、制作陣は東京嫌いなのかと訝ってしまうほどです」(前出・テレビ誌ライター)

 暢子ら四兄妹が主役だったころには、子供の気持ちを丁寧に描いていた本作。しかし彼らが大人になったいま、子供というのは<放っておけば勝手に育つ>程度の存在になってしまっているようだ。