彼女の妄想は中学生のころから留まるところを知らなかったようだ。
2月23日放送の「あちこちオードリー」(テレビ東京系)には、ハリセンボンの二人と森三中の黒沢かずこがゲスト出演。5年先輩だという黒沢が、デビューしたてのハリセンボンを食事に誘ったエピソードなどが明かされた。そのなかで黒沢の尋常ならざる「松本人志愛」が語られたのである。
MCのオードリー若林からNSC(吉本総合芸能学院)に入ったキッカケについて問われた黒沢は、ダウンタウン松本人志を「人志命だったんで」というほどの大ファンだったことを告白。1994年に発刊された「遺書」という松本の著書に、女性芸人は成功しないと書いてあったことから、まずは放送作家になろうと制作会社主催のセミナーに通っていたと明かしていた。
しかし放送作家に必要なリサーチが大変で、遠回りになると考えた黒沢は芸人から作家になろうと思いつき、ダウンタウンも出演していた「心斎橋筋2丁目劇場」の大ファンだったことから、ダウンタウンが1期生でもあるNSCに入ろうと決心したのだという。
「NSCで出会った大島美幸と村上知子との3人で『森三中』を結成した黒沢。5年目の2004年には早くもコント番組『リチャードホール』(フジテレビ系)のレギュラーに抜擢され、くりぃむしちゅーや中川家といった大先輩と共に体を張った活躍を見せていました。そして森三中は『ガキの使いやあらへんで』(日本テレビ系)にも呼ばれるようになり、黒沢は早くも憧れの松本に出会えることに。実際に会ってみると『松本さんじゃなくて人志ですよね』と、嬉しそうにその思い出を語っていたのです」(芸能ライター)
松本に会いたくてお笑いの世界に入ったという黒沢は当時、「やばい人志だ。こっから結婚にどうもっていこう」との妄想を全開にしていたという。14歳から松本との結婚を夢見ていた黒沢は、まさに夢の実現に向けてひた走っていたのであった。
「結婚して松本を支える気で満々だった黒沢は、中学生の時に『松本さんはこの世界を37歳で辞めるから、私はその後パートに出るんだ』と決めていたことを明かしていました。松本は2000年に37歳になっていたので、1999年デビューの黒沢はその人生設計にぎりぎり間に合っていた計算です」(前出・芸能ライター)
黒沢が夢見ていた展開は、松本の両肩を後ろからつかみながら「いいんだよ人志、もう何も考えなくていいの、もうお笑いとなんて戦わなくていいんだよ」と伝えるというもの。そんな黒沢の妄想はもはや留まるところを知らず、MCの若林も「その辺にしてください」と止めるのに精一杯だった。
それでも黒沢は、自分が43歳のベテラン芸人になった今でもまだ、松本への飽くなき妄想を抱き続けている様子だ。
「松本が自分の15歳年上だと説明した黒沢は、『毎年考えるんですよね。人志もこの歳になったか、って。いま58』とさらなる妄想を爆発。松本が9月生まれ、黒沢が10月生まれと誕生日も近いことから、常日頃ごろから松本の年齢を数えている様子です。一方で番組では松本が結婚していることや娘がいることには触れていなかったので、自分にとって不都合な現実には目を向けないようにしているのかもしれません」(前出・芸能ライター)
こんな感じで「人志命」の黒沢だが、松本が打ち込んでいる筋トレはやめさせたいという。なんでも昔の可愛かった姿から変わってしまったのが理由とのことで、松本のダンスシーンが収録されているDVDの名前をあげて「『OH!MY ハレルヤ』のVTR、見せたいわー」としみじみと語っていた。
どうやら黒沢の頭の中にいる松本は、1988年当時の姿のままで止まっているようだ。
※トップ画像は森三中公式インスタグラム(@morisanchustaff)より。