【ちむどんどん】優子の日当はたったの50セント!500ドルの借金は返せるのか?

 まさかいきなりお父さんが亡くなるなんて…。視聴者も茫然自失としたことだろう。

 4月18日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第6回では、前週の第5回で農作業中に倒れていた比嘉賢三(大森南朋)が、家族に看取られて亡くなる場面が描かれた。

 自宅で医師の往診を受けるも心臓発作と診断され、強心剤を射たれた賢三。子どもたちの賢秀、良子、暢子、歌子が学校から駆け戻ってきて、心配そうに賢三を取り囲む。すると安心したような表情で一人一人に話しかけ、そのまま眠るように賢三は亡くなったのであった。

 日が変わり、棺と共に家族らがグソー道(葬送の道)をお墓まで歩いていく野辺送りの場面に。賢三が本当にあの世へと旅立ったことが示されることとなった。

「葬儀が終わると、妻の優子(仲間由紀恵)は比嘉家の借金について親族や関係者から責められることに。家の新築やサトウキビ畑の購入に銀行から400ドル、賢三の叔父・賢吉から100ドルの、合計400ドルを借りていたのです。賢吉は『銀行の分をどうにかしないと保証人の俺らも共倒れやぞ!』と叱責。家を売れと強く迫りましたが、優子は『どんな仕事でもします』と、自分が働きに出るので家は売らないでほしいと頭を下げたのでした」(テレビ誌ライター)

賢三は家族に看取られながら旅立っていった。トップ画像ともに©NHK

 工事現場で食事を作る、賄いの仕事をするようになった優子。朝早く家を出て、帰ってくるころにはもう暗くなっている長時間の重労働だ。日当で支払われる給与は貴重な現金収入となったが、優子が手にするのは1日あたりクォーター硬貨2枚だけ。たった50セントにしかならなかったのである。

 これだと優子が500ドルを稼ぐためには単純計算で1000日間、休みなしで3年弱も働く必要がある。もちろん日々の生活にも現金が必要なほか、借金の利子もあるため、完済までには途方もない年月が必要だ。そんな比嘉家が背負った借金は実際どれほどのものだったのだろうか。

「作中の昭和39年(1964年)当時、沖縄における女性の平均月収は50ドル弱だったので、比嘉家の借金は女性の年収程度と言えそうです。ただ、給与水準の高い那覇など都市部とは異なり、比嘉家のある北部のやんばる地区では優子が1日に50セントしか稼げないように日当も低いことから、同じ借金でも年収で2~3年分に相当したのではないでしょうか」(沖縄マニアのライター)

 長女の良子が欲しがっていた体操服には1.4ドルの値札が付いており、優子が3日間働いて、やっと体操服が買える程度の収入にしかならない計算となる。果たして比嘉家は今後、まともに生活していけるのか。朝ドラファンとしては、せめて母親の優子だけは元気に働き続けてほしいと願うばかりだろう。