こういった描写がなぜ発生してしまうのか。制作陣はもはや沖縄の歴史を検証することを放棄してしまったのだろうか。
7月23日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」では、第15週「ウークイの夜」を振り返ることに。比嘉家の母親・優子(仲間由紀恵)が戦争の辛い記憶を子供たちに明かした場面では、ナレーションを担当する沖縄出身のジョン・カビラが、自らの想いをこのように語る場面があった。
「いまも戦争のことを語ることに難しさを感じているご高齢の皆さんがいらっしゃいます。しかし個人的な話で恐縮ですが、幼少のころから祖母、叔父、父から聞いた戦後沖縄の実体験。私の平和を尊び望んでやまない心の芯を作ってくれました。みなさんもぜひ機会があれば、人生の先輩の皆さんに尋ねてみてください。『あなたのストーリー、物語を聞かせてください』と」
本土復帰50年という節目の年に制作された「ちむどんどん」において、沖縄出身のカビラが語る個人的な想いは、格別な響きをもって視聴者にも伝わったことだろう。
だがこの第15週には、カビラが言う“沖縄の実体験”に反した描写があったという。それは優子が語った沖縄大空襲(十・十空襲)を巡る場面に潜んでいた。
優子は昭和19年10月10日の空襲で那覇が焼け野原になったと語り、「うちは山の中をさまよっているうちに、お父さん、お母さん、ネーネーとはぐれて弟と二人っきりになってしまった」と当時の状況を説明。画面には洞窟の奥に潜んでいる優子と弟の姿が映し出され、「うちと弟はアメリカ兵に捕まって、収容所で終戦を迎えた」と語っていた。
「沖縄大空襲に遭った那覇では市街地の9割が焼失し、1万1000戸以上が全損。優子が語った通りの焼け野原となりました。しかし、空襲から逃げ延びた民間人がアメリカ兵に捕まったという描写は杜撰だと指摘せざるをえません。なぜなら米軍が沖縄に攻め込んだ『沖縄戦』は、翌年の昭和20年3月に始まったからです」(週刊誌記者)
昭和20年3月26日に始まった沖縄戦にて、米軍が那覇に入ったのは5月24日のこと。昭和19年10月の沖縄大空襲からは半年以上も先のことであり、優子が避難先の洞窟でアメリカ兵に発見されるというのは絶対にありえない話なのである。それとも上陸したアメリカ兵に発見されるまで、空襲から半年以上にもわたって洞窟に潜んでいたとでもいうのだろうか。
「様々な“考証ミス”が指摘される本作ですが、沖縄について描くドラマであれば、沖縄大空襲や沖縄戦の時間軸について調べるのは時代考証における一丁目一番地のはず。そんな基本中の基本をないがしろにして虚構の歴史を描いたことについて、制作陣には真摯な説明が求められるべきではないでしょうか」(前出・週刊誌記者)
ただこの場面、もともとは7月20日の第73回で放送されたものであり、一週間振り返りの際には優子のセリフが少し省略されていた。元のセリフでは沖縄大空襲で家も食堂も全部燃え、おじいとおばあも亡くなったと説明。続けて「そして米軍が上陸してきた」と語っていた。つまり大雑把すぎる説明ではあるものの、この「そして」という単語に、沖縄大空襲から半年以上の月日が経ったとの意味が込められていたのではないだろうか。
「その場合、優子の説明には不都合な箇所が生じます。優子はネーネー(姉の時恵)も一緒に逃げたと語っていましたが、米軍が上陸した時点で時恵は、ひめゆり部隊などで知られる“女子学徒隊”として活動していたはずです。昭和20年3月以降には14歳以上の女子生徒が従軍看護婦の代用として、陸軍病院での活動などに従事していました。それゆえ米軍の上陸後に優子が時恵と一緒に逃げることはないはず。そういった史実も、沖縄に関するドラマを制作するなら調べているべきなのですが…」(前出・週刊誌記者)
NHKでは沖縄の歴史について数々のドキュメンタリー番組を制作しており、局内には今回の“時代考証ミス”に気が付いている局員もいるはずだ。カビラのナレーションでは人生の先輩たちに話を聞くべきと提案していたが、本作の制作陣はまず、局内の“先輩たち”に話を聞くべきだったのではないだろうか。