【鎌倉殿の13人】京に帰りたい牧の方、北条政子との意外な因縁とは?

 その時点では予見しえない未来の姿に、後世の歴史ファンも驚きを隠せなかったようだ。

 2月6日放送のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第5回では、源氏再興をもくろむ源頼朝がついに蜂起。兵を挙げると共に、戦火に見舞われる恐れの強い北条家から、女性たちを伊豆山権現に逃がす様子が描かれた。

 北条家から逃げ出したのは頼朝の妻である政子(小池栄子)、その妹の実衣(宮澤エマ)、そして当主・北条時政の妻であるりく(宮沢りえ)の3人。「牧の方」とも呼ばれるりくは京に生まれ育ち、夫・時政のことは愛しているものの、京に戻りたいという気持ちもまた強く抱いているという上昇欲の強い人物だ。

「女人禁制の伊豆山権現では寺女として、掃除などを義務付けられた3人。北条家でお姫様同然に育ってきた実衣や、京への憧ればかりが募る牧の方は、さっぱり掃除に身が入りません。生真面目な性格の政子から掃除をするよう言われた実衣は牧の方を指さし、『本当にお腹に赤ちゃんいるのかな。まったく目立たないけど』と不満顔。一方で牧の方は遠くを見ながら『京へ帰りたい…』とつぶやくのでした」(歴史に詳しいライター)

 そんな平安から鎌倉の時代に関しては信頼できる史料が乏しく、実衣に関してはその後の行方や没年も定かではない。それに対して将軍・頼朝の妻として強い権勢をふるった政子に関しては多くの記録が残されており、鎌倉幕府の初代執権となった時政の妻である牧の方についても没年不詳ながら、ある程度の史料が残っている。

 そんな政子と牧の方の二人には今後、意外な因縁が待ち受けているというのである。

お互いに夫を安全を祈りながら妙法蓮華経を唱えていたりくと政子。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式ツイッター(@nhk_kamakura13)より。

 劇中では政子が牧の方を「母上」と呼んでいるが、それは実父・時政の後妻だから当然のこと。ただ、牧の方は時政とかなり年が離れており、政子とはほぼ同世代だったようだ。そんな二人は仲の良い時もあれば、袂を分かった時もあったという。

「のちに鎌倉幕府が成立し、政子は義母の牧の方よりも立場が上に。頼朝が不貞を働いた時には、政子が牧の方の父親に命じて不貞相手の屋敷を打ち壊すという騒動もありました。一方で頼朝が亡くなると鎌倉幕府は後継者を巡って混乱状態に陥り、そのなかで時政はだんだんと実権を握るようになります。本ドラマのタイトルにもなった“十三人合議制”のあたりから頭角を現した時政は、最高権力者である初代執権の座に就くことに。しかし政子の次男で三代目将軍の源実朝を排除しようとしたことから、政子らと対立。鎌倉から追放され隠居することとなったのです」(前出・ライター)

 当然、牧の方も鎌倉を放逐されるが、夫・時政の死後には娘を頼って京に戻ることに。生まれ育った京でぜいたくに過ごしたと伝えられている。

 その後牧の方は、嘉禄3年(1227年)に時政の13回忌を盛大に祝ったとされているが、一方で政子は嘉禄元年(1225年)に病気により死去。つまり義母であった牧の方のほうが政子より長生きしていたというわけだ。

「この『鎌倉殿の13人』がどの時代までを描くのかは不明ですが、主人公の北条義時(小栗旬)は姉の政子より1年早く亡くなっていることから、父の時政が実権を握る時代までは描かない可能性もありそう。そうなると牧の方は、義娘の政子に頭を押さえられたままの立場で描かれるのかもしれません」(前出・ライター)

 ともあれ最終回まではいずれも存命の可能性が高い政子と牧の方。二人の織り成す人間関係にも注目が集まっていきそうだ。