【ちむどんどん】ブレストに付箋紙、踏切警報音まで、時代考証が正しかったのはどれだ!?

 本作ではどうやら場面ごとに、その真偽を確認していく必要があるようだ。

 7月8日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」第65回では、東洋新聞記者の大野愛(飯豊まりえ)が、同紙の大型連載企画に向けて自分のアイデアをブラッシュアップしていく様子が描かれた。

 女性のファッションと社会進出をテーマにしたい愛は、同僚で恋人の青柳和彦(宮沢氷魚)らに協力を求めることに。ヒロインの比嘉暢子(黒島結菜)や暢子の幼馴染で食品卸業の砂川智(前田公輝)を含めた4人で、ブレインストーミング(ブレスト)の手法で企画を練り上げていた。

 4人はまず、様々なアイデアを付箋紙に書き込み、机に広げた模造紙の上に並べていった。小さなアイデア同士の関連性を可視化することで、問題の解決に導くという手法だ。この場面に視聴者からは疑問の声もあがっていたという。

「ひとつは、昭和53年(1978年)の時点でこんなブレストが一般的に行われていたのかという疑問です。こちらについては《すでに存在していた》が答えでしょう。4人が取り組んでいたのは『KJ法』のようでしたが、この手法は文化人類学者の川喜田二郎氏が考案したもので、昭和42年にはその萌芽となる書籍『発想法』が刊行されています。どうやら制作陣はブレストの歴史をちゃんと把握していたようですね」(週刊誌記者)

 その一方で、この場面には別の疑問も投げかけられていた。それはブレストに用いていた付箋だ。黄色くて四角い付箋と言えば「ポストイット」が定番だが、同製品は昭和55年(1980年)の発売で、作中の時代にはまだ世の中に存在していなかったのである。

 ただ作中に登場していた付箋には糊がなく、どうやらポストイットではなかったようだ。しかし当時の日本で「付箋」と言えば細長いタイプが一般的で、先端を赤く塗った白色が定番だったはず。ほかにはブレストにも用いられた「情報カード」という文具はあったものの、そのサイズはB6(128×182ミリ)とかなりの大きさだった。

 そもそも、正方形に近くて黄色(クリーム色)の付箋はおそらくポストイットの形状を反映したもの。作中の時代には存在していなかった可能性が高いのである。

若者4人で愛の企画を磨くブレストに取り組んでいた。トップ画像ともに©NHK

「その一方で、妙なところで時代考証がしっかりしている場面もありました。前日の第64回では和彦と暢子が食事をしている『あまゆ』の店内に、踏切の警報音が聞こえていたもの。しかし物語の舞台である横浜・鶴見の周辺を見ると、京浜急行線は高架化されており踏切は存在しません。JR線(当時は国鉄線)も東側は鶴見川の鉄橋まで踏切はなく、西側は1.6キロも離れた京急の生麦駅付近にあるだけ。それゆえ警報音が聞こえてくることは有り得なさそうですが、作中の描写は決して間違っていないというのです」(前出・週刊誌記者)

 というのも、京急鶴見駅が高架化されたのは昭和56年(1981年)3月30日のことであり、作中の昭和53年にはまだ、同駅付近に踏切が存在していたのである。またJR線でも西側に500メートル弱の場所に2012年まで「総持寺踏切」が存在しており(現在は跨線橋に転換)、かつては“開かずの踏切”として地元では有名だった。

 つまり「あまゆ」店内で警報音が聞こえたのは、時代を反映した演出だったということになる。妙なところでちゃんとした時代考証が発揮された形だが、もしかしたら「ちむどんどん」のスタッフに鉄道オタクがいるということなのかもしれない。